デュオトリオ「起」:夏への扉を開きましょう
皆様こんばんは、まよです。
デュオトリオCDの魅力に迫る「サマバケをめぐる冒険」、まずは1曲目の
夏への扉 Never end ver. Sounded by 国木田花丸×桜内梨子×小原鞠莉
この曲への想い、感想、その他メロディや歌詞からの情報分析をしていこうかなと思います。
注)歌詞の引用部分はアンダーラインで表現していこうと思います。
本当は斜体にしたかったけどなんかうまくいかない…
・明るさの中に潜む焦燥感
はいSplash!!ということで、この曲の冒頭は3人の「Splash」「Spark」「Shining」
そして「Summer!」という掛け合いから始まります。
夏のビーチ、燦々と輝く太陽の日差しを一身に受け、舞う水飛沫と明るい声(そしてはちきれんばかりの水着のまるまりこ)……夏ですね。
この曲から受ける最初の印象は、夏の持つ本質的な「明るさ」「光と水」「熱」etc.……そういったポジティブで正統派な夏のエネルギーが爆発している、というものかと思います。
余談ですが、音声として考えたときに子音の「s」は鋭く飛びやすく、空気を裂いて伝えられる音なので、曲の冒頭のそれぞれの単語の頭文字が全てsで始まるのにはやはりこの曲がアルバムにおける"トップバッター"で、まずは空気を一気に貫いて形作る"一番槍"のポジションにあるのだと考えられます。
ライブ時のコールでも、皆で言葉を揃えて盛大にSplash!!を決めていきたいですね。
……ただし、いきなり来たときに言うのは難しいので心構えは必要な気がします。
脱線しましたが、とにかくこの曲の持つ特性がポジティブな特攻隊長、といったものかと思ってもらえれば良いかと思います。
衣装イメージに決まったハリケーンブロッサムの名前も、吹き抜ける一陣の風、という意味では曲とリンクするかもしれません。
この性質はこの曲のメンバー中だと鞠莉に1番強く関連づけられているものであり、本来であれば梨子と花丸にはあまり備わっていない性質なので、鞠莉の強烈で能動的なエネルギーに誘導されて梨子と花丸の2人も夏へ向かって徐々に開放されていく……そんな過程が想像できて微笑ましいと同時に、これこそが「夏への扉」を開いていくことなのかな、なんて考えています。
さて、ですがこの曲はそれだけで終わるものではありません。
1番、2番と共通でBメロの終わりにある 今年は一度きりさ という歌詞。
そして2番のサビから入ってくる、
いつか思い出になると
ちょびっとね 分かっちゃった
それさえ夏らしさと 知ってるよ!
さらにCメロ部分の
この季節
いつか思い出になるの?
終わらない夏への扉を
夢みてると 知ってるかい?
この部分から読み取れる感情は
「この夏がすぐに終わってしまうこと」
「二度とないものとして来年には思い出となってしまっていること」
そして彼女たちは「それを自覚している」というところでしょうか。
その上でNever end ver.のタイトルが示す通り、終わらないものであることを願っている、という切ない構図が胸をぐっと掴みます。
その終わってしまうことへの焦り、いつまでも続いて欲しいという願いを明るさで塗りつぶし無理矢理ハイテンションで爆発させる。……こんなところも、もしかすると鞠莉らしいところなのかもしれません。
・夏とAqoursの結びつき
夏の持つ莫大なエネルギーと本質的な儚さ、期間限定の輝かしい思い出……こういった情報はさらに拡大すると「Aqoursというスクールアイドル」にも適用できるように思えてきます。
そもそも「ラブライブ!サンシャイン!!」の象徴としての太陽、沼津内浦といった地域を象徴する海、グループ名の基となったAQUA(=水)。これらはAqoursのもつ属性記号であり、それが映えるのはやはり夏であると私は考えています。
(ライバル関係にあるSaint Snowが「雪=冬」の記号を持っているのもその現れかな?とか)
特にAqoursはμ'sと同じように「メンバーに3年生を含む」グループであり、現実問題として「来年の夏にダイヤ・鞠莉・果南の3人はいない」ことは確定しています。
この9人で活動できるのは今年度一杯であり、この9人で過ごす夏は二度と来ない。
こういった「限られた時間の中で精一杯輝くこと」はμ's時代に穂乃果が気づいた「スクールアイドルの輝き」そのものであり、同じスクールアイドルであるAqoursもこの問題を避けることはできません。
そういったことを踏まえ「夏」と「Aqours」を並べ立てたときに、その儚い性質は何倍にも膨れ上がっていきます。
他のどのスクールアイドルでもなく、Aqoursがこんな夏の曲を唄うこと。
Aqoursが夏への想いそのものとして発信するメッセージは、意識してか無意識なのか、彼女たち自身の在り方への問いかけなのかもしれません。
・それでも夏は終わるし季節は移ろいゆく
「夏への扉 Never end ver.」を皮切りに始まるこのCDの4曲には、大なり小なりそういった夏への「過ぎ去っていく儚さ・切なさ」が内包されており、それを大きなテーマとして4種類の表現をしているミニアルバムである、と私は考えています。
前述の通り、この曲では明るさを全面に押し出し、かつ永遠ではないことを自覚した上で永遠を望む、そういった無謀で突き抜けた切なさを見せることで彼女たちの「夏」を表現しているものです。
この、ある種刹那的で大局を悟っているような、そんな目線は花丸の領分なのかな、なんて考えています。
・ピアノで表現するサンバ
サンバ、と聞いて最初に浮かぶイメージはリオのカーニバルやハワイのなんか民族的な踊りだったり、そういった南国の踊りというものが多いと思います。
そういった民族音楽では、高低の叩き分けができる太鼓のような打楽器や笛なんかがメインの楽器となりますが、この曲のメンバーに桜内梨子が含まれている要素として、随所に仕込まれるピアノの音色というものが上げられます。
特徴的な部分では1番Bメロの
“ぼーっ” と過ぎちゃもったいない
“ぎゅーっ” と濃い時間が欲しい?
ここで歌詞の問いかけを助長するようなころんというピアノが入ったり、
2番Bメロでは
“わーいっ” て笑顔見せてよ!
この歌詞のあとに勢いを加速させるグリッサンドと、サビ前のテンションを維持する下降音階での力強い伴奏が入ってきます。
そして、Cメロの梨子ソロ部分。
この季節
いつか思い出になるの?
前述したようにこの曲……ひいてはこのアルバム全てのテーマである夏の儚さを切なく歌い上げる場面、伴奏には情感的なピアノが寄り添っています。
Aqours楽曲はμ's楽曲に比べてピアノが印象的に使われる場面が多いなあと私は感じているのですが、これはメンバーである梨子の、大切なもう一つのアイデンティティ*1
です。
彼女が作曲しAqoursへ提供しているという背景があるので、ピアノの音色に意味を見出したい場面では、きっとそこには作曲する彼女の意志が垣間見えるのではないか、なんて考えています。
・Aqoursとの夏
こうして歌詞とメロディを読み解いていくと、ひとつだけ疑問に思う部分が1箇所あります。
「お祭りの太鼓で踊ろう」
この歌詞って、南国やビーチをイメージしたこの楽曲の中で、なんとなく浮いている気がしませんか?
確かにサンバはお祭りの音楽ですし、その中で太鼓を叩くというのもわかります。
ですが、この曲であまり太鼓の音が強調される場面は多くないですし、やはりイメージは海や太陽といった方向に向かうと思うのです。
初めて聴いた時、この部分だけ何か浮くなぁと、そう感じていました。
ですが、我々はもう知っています。
日本人がイメージする「祭」の中で「太鼓」というのは言うまでもなく和太鼓です。
そしてこの夏、我々は見ているんです……和太鼓を。
ステージ上で和太鼓を迫力満点に叩く伊波杏樹さん。
正面では団扇をもってじたばたする某水族館のゆるキャラ。
そう、サンシャインぴっかぴか音頭です。
このデュオトリオ企画もAqoursの「Next step project」の一環として組み込まれているものならば、発案のタイミングでもしかしたらツアーにおける「お祭りの太鼓」は存在が見えていたのかもしれない。
Aqoursと一緒に、太鼓に合わせて一緒に踊る……そんな夏を、できれば終わって欲しくないけれど、思い出となるならせめて精一杯輝いたものに……。
そんな願いを唄ったこの曲。
終わりへ向かう夏への扉を開くイントロダクションとして、鞠莉と花丸と、梨子の3人が考える彼女たちなりの夏のイメージとして。
様々な意味とメッセージを内包して始まるこのミニアルバムの序曲は、多くの可能性の扉となって我々に眩しい光景を見せてくれるのではないのかな、と思っています。
曲単体以外に、やはり避けて通れなかったのでアルバムテーマと「Aqoursと夏」についても語ってみました。
基本的にはこのイメージを前提としてこの先の曲も分析できればと思っています。
致命的な解釈違い等がある場合は今後もこういう論調となるので、そっとブラウザを閉じて頂ければお互いに幸せかもしれません。
それでは今回はここまで。
次回は…結局夏って誰のものなの?お姉ちゃーん……です!