AQUARIUMと愛のうたをめぐる冒険

AQUARIUMと愛のうたをめぐる冒険

十六夜まよ(@daimarco16)がおんがくを考えるところです

デュオトリオ「承」:姉妹が夢見た情熱と幻想

皆様こんにちは。まよです!

 

デュオトリオCDの魅力に迫る「SUMMER VACATIONをめぐる冒険」、2曲目は

真夏は誰のモノ? Sounded by 黒澤ダイヤ×黒澤ルビィ

を読み解いていこうと思います。

前回に引き続き、歌詞やメロディから感じられる曲の背景やイメージなんかをメインに、黒澤姉妹が提示する「真夏」とは、そしてそれが一体「誰のモノ」なのか?

そんなあたりを考えていけたら、と。

注)引き続き歌詞の引用はアンダーラインで行います。斜体にもしてみようと思います。

 

・情熱と幻想

まずはざっとこの曲を聴いた時のファーストインプレッションですが、皆さんはどんなイメージを受け取りましたか?

私は夕暮れから薄明くらいのオレンジと紫が混ざる空、そこからもう少し時間が経過した夜の闇と、辺りを照らす炎、そして真紅のドレスに身を包み舞う2人……そんな、黒と紅が入り交じる熱帯夜をイメージしました。

きっと日本とは遠く離れた、どこか南国の地で。

エキゾチックで妖艶な魅力を持った少女が踊り、情熱的な恋の炎に身と心を焦がしているような。

そういった幻想的で異国情緒溢れる世界観をメロディラインとテキストから感じました。

起承転結の「承」に位置づけられるこの曲は、1曲目「夏への扉 Never end ver.」が切り込み、盛り上げたムードを一気に暖め、燃え上がらせる情熱を宿していると言えるでしょう。

 

曲の持つ調性(キー)は変ホ短調であり、陰暗なイメージのある調ですが同時に"神秘的な恐怖に満ちた調"であるとも表現されています。*1

"神秘的"という表現には幅広い受け取り方がありますが、非日常や非現実といった未知の世界、そして夜の持つ独特の雰囲気……そんなものに対する感情として、少しの恐怖と一緒に感じられるものと考えると曲のイメージにピッタリなのではないかなと思います。

 

そして「異国感≒非現実感」というのはこの曲を考えるにあたってひとつの大きなキーワードになるもので、それはこの曲を唄っている黒澤ダイヤルビィ姉妹が持つキャラクターとしての本質と大きく関わってくると考えています。

 

 

・黒澤姉妹に取っての現実/非現実

「黒澤姉妹がデュオ曲を唄うのなら、和風な曲調になるのかな?」

曲の発表前、そんな期待を持っていた方も多いのではないでしょうか。

私もその一人で、漁村の有力な網元・古風な家で生まれ育った黒澤姉妹にはそのイメージに相応しい「和」の曲が似合うのではないかな、そうであれば良いなと想像していました。

ところがどっこい、まず決定した衣装イメージがインフェルノフェニックス。キャッチコピーは「不死鳥の炎で音楽シーンに破壊と創造を!」

そして発表されたイラストがこちら。*2

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インフェルノフェニックス黒澤

お姉ちゃん、破廉恥だよぉ。。。

そしてどうなるかと考えられていた曲そのものですが、皆様知っての通り情熱的に愛を唄うラテン系の仕上がりとなりました。

ネット上の感想等を見るに、これを受けて「何故この姉妹にこの曲を?」という疑問を持った人も少なくはなかったのかなと思うのですが、そこは敢えてそうした意図が制作側にあったのではないか、そしてこの曲の本質に迫るにはこの姉妹だからこそできるアプローチがあるのではないか。

そんな考えのもとに私はこの記事を書き始めました。

 

ここでひとつ、フォロワーさんの記事の引用をば。

(ダイヤが)自分のことを「生贄」だなんて言ってしまう人生って、それこそ"本当のわたしは地球じゃないところで生まれたかも"と現実逃避に至るのではないでしょうか。

本音か建前か、向いてないという理由から妹には生贄の役目を押し付けようとせず、代々続く家系という"迷路"のなかにひとりで居る箱入り娘。

こうした捉え方から、さらに

「GALAXY HidE and SeeKは黒澤ダイヤを救う歌なのではないか」

ameblo.jp

と意見を展開する、瀬口ねるさん(@_Segnel_)のこの記事における黒澤ダイヤにまつわる解釈、彼女を取り巻く環境や出生背景等は共感できることが多く、また私自身の「黒澤家」への考え方も非常に似たところにあります。

現代においても尚、片田舎の、そこそこ有力で古風な考え方の残る家の長子としての宿命のようなものは、彼女ほどではないにしてもしがらみに囚われている人は多いのかなと思いますし、私自身少しだけこういった経験はしているのでなんとなくの共感もあります。

そして、その命運を背負うのは、姉によりある程度軽減はされているものの妹であるルビィにとっても同じことなのではと私は考えています。

血を分けた姉妹、長女次女の差はあれど同じ家で育ち、自分たちがその家の娘であることで求められる責任や役割等、考えてくる機会は多かったはずです。姉が何らかの理由で家督を継げない時、その期待は妹にも間違いなく降り掛かります。

いずれ確実に訪れる、"少女"として生きる時間の終わり。もしかして彼女たちは、恋愛を知らぬまま伴侶を見つけ、家を継ぎ、子を産んで、家のために人生を全うする……決して不幸ではないでしょうが、少しだけ不自由な、そんな生涯を過ごす可能性も無いとは言えません。

夏のように熱い恋愛という感情は、こと彼女たちにとっては許された期間が短く、儚いものとして認識されているのかなと想像しています。

 

そんな現実に晒される彼女たち姉妹が唄う愛のうた。

現実にはならない、自分たちの幻想にだけ存在する儚い夢。

"今年の夏"のようにもう二度とはやってこない……熱く、身を焦がす想い。

 

そこまでの悲壮感と重みを持たせるつもりは無いですが、無意識にでも彼女たちの恋愛観は、憧れのずっと先に、きっと現実離れした……生まれとは違う国の、違う世界のものとして幻想的に、情熱的に描写されるのではないかと想像しています。

 

余談ですが、「G線上のシンデレラ」において「したいこと言ってみて」と言われたダイヤ

「なんでもって……オーケストラで踊るダンスパーティーとか?ふふ、まさかね?」

という願望を口にしています。

自分では叶えることのできない願望の中に「和」とはかけ離れた世界観を提示してくるあたり、やはりそういったものを「非現実」と認識し憧れを抱いているのかなとも考えられます。

 

ここまでで、この曲を敢えて黒澤姉妹が唄うその意味について考察してみました。

そしてこのイメージの払拭は「破壊と創造をもたらす」というインフェルノフェニックスの世界観そのものなのではとも。

ついでに曲中の「真夏」というのは「恋心」「愛そのもの」なんて解釈をしている理由を説明できたかなと思います。

 

 

・本能と理性、その葛藤

前置きが大変長くなってしまいましたが、曲の分析に入ります。

まずはこの曲がアルバム中で1番「デュオ曲」として完成されているものであると明言します。

各フレーズを交代で唄うだけではなく、一方の歌唱中にコーラスとして対等な別パートの旋律が存在し、その掛け合いで歌詞を表現していく。

この動き方は実は他3曲にはほぼ存在していないものです。

また、これは捉え方になりますが、台詞パートがこの曲には存在しなく、100%歌唱のみで曲の持つ世界観やメッセージを伝えているという面で、曲としてガチで勝負しにきている、と考えることもできるでしょう。(決して台詞パートがあることで他の曲が劣っていると考える訳ではありません。)

 

次は歌詞を見ていきましょう。 

前述のようにこの曲が彼女たちの憧れる"幻想の中の恋心"を唄ったものと考えた時に、それでも存在する葛藤が見え隠れします。

もっと知りたいの
もっと知りたいの
いけない 夢だと
気づきながら

このフレーズから読み取れるのは、理性と本能の狭間で気持ちが激しく揺れ動いているということです。

そして面白いことに、姉妹のパート分けがその両面の心を示しています。

例えば冒頭から

(ダイヤ)目をそらしたい 
(ルビィ)でもそらせない

という部分や、Aメロでは

(ルビィ)ときめき以上のリズム
今宵 知りたくて
いつもより大胆な言葉を
つぶやいた

(ダイヤ)自分の気持ちなのに
全然分からなく (ルビィ)なっちゃいたいな
理性から指令が (ルビィ)届かない
コントロール不可能

等、

ダイヤのパートは制御できない気持ちに戸惑い、律しようとする理性

ルビィのパートは感情に身を任せ、情熱を燃やしたい本能

それぞれ担当しているように思えます。

これはやはり、長女・次女としてこの気持ちに向き合った時、冷静に対応しコントロールしたいと思う姉と、少しばかりの自由を手にしているため奔放に解放してしまいたい妹とのそれぞれの気持ちが現れたパート分けとなっており、黒澤姉妹というキャラクターならではの演出であると感じます。

この2面性は、調性イメージの「神秘と恐怖」とも関連づけることができるのではないでしょうか。

 

 

・情熱をぶちかませ!

さて、ここまで小難しいことをつらつらと述べてきましたが、曲そのもののメッセージ性は割とシンプルで、

「(少しだけ自由のない環境で育った)少女たちの考える本気の恋愛・情熱」

に尽きると思います。

Ah 情熱的に抱きしめて!

と締め括られるこの曲はとにかく"情熱"というものをテーマにしており、それを彼女たちがどう表現しているか、となるわけですが……

その想いに応えるならば、こちらもあらん限りの情熱と愛情をもって誘いに乗っかる、というのが最大限の答えなのかなと思います。

幸い、用意された舞台はフラメンコ風のダンス。

感情の一番盛り上がるタイミングは……ハレオ(Jaleo)と呼ばれる2番サビ手前のの掛け声です。

台詞パートが存在しない、とは言いましたが、解釈としてはここがもしかすると台詞なのかもしれません。楽譜上音程は存在せず、合いの手として歌われる声部がこの掛け声だ、と考えると他に無い感情のぶつけどころをここ一箇所に集中して爆発させるのがこの曲のカタルシスを味わう上で1番大切になるポイントなのかなと考えています。

フラメンコに用いられる手拍子はパルマ(Palma)と呼ばれ、その中でも高音で響くものをセコ(seco)と呼ぶそうです。

ライブで演奏される場合、ここは是非とも全力で、できればセコも交えてハレオを炸裂させたいですね!

 

 

・結局、真夏は誰のモノ?

と、いうわけで"黒澤姉妹が唄う"この曲がより魅力的に感じられそうな解釈・感想をまとめて来ましたが、如何だったでしょうか。

家庭事情に関し、少し暗め(?)の解釈が入ってしまいましたがそれもまたキャラクターが持つひとつの属性として、私は好意的に捉えています。

ちょっとだけ特殊な家庭事情に生まれ、少しだけ不自由な生活の中で、それでも自分たちなりの青春のカタチを模索し、謳歌する姿はとても愛おしく思いますし、だからこそ私はこの姉妹に惹かれ、2人一緒に推しています。

そんな2人の記念すべきデュオ曲だからこそ、ここまで多くのことを考え文章にしてきました。

 

楽曲として非常にハイレベルにまとまったこの「真夏は誰のモノ?」を、"身を焦がす情熱"や、"少女たちの憧れる非現実・幻想"といったワードを通して聴いた時には、改めてその意味や意義、そしてアルバムの大テーマである「夏の有限性・儚い輝きの魅力」なんかを感じられるのかな、と、この記事を読んだ皆様にとってもそうであったらいいなと願っています。

 

最後に。

 

 

という曲名であり主題であるこのフレーズは、非常に悩みましたが最終的に結論は出ていないのかな、と私は解釈します。

恋心(=真夏)を唄うこの詩で、結局誰のモノでもなく、ただ彼女たちの胸に眠る憧れであるように。

未だ存在しないその「愛のうた」は、謎に満ちた遠くのパッションとして……今は誰のモノにもならないのかな、なんて考えています。

 

 

といったところで、今回はここまで。

次回は…暑いだけが夏じゃない!そんなところも私達の地元愛!です。

 

 

 

 

以下オマケ

 

 

 

 

 

 

 

 

・ブレスは誰のモノ?

感情の昂りと言えば、私の考えるもうひとつのこの曲最大の聴きどころとして、ラスサビの

初めて胸のトビラが開いてしまいそうよ
You knock knock my heart!!

……の伸ばし切った最後、苦しげに混じる甲高いブレス音を挙げておきたいです。

 

そもそもブレス音とは、歌唱する上で必要な空気を取り入れるために呼気を吸う、要するに呼吸音となるわけですが……

普段、普通に生活している中で相手の呼吸音が聞こえるという場面はまず無いです。

息遣いを聴けるような距離に近づくことができる関係性は限られてきますし、本来ならばそれこそ本当に親密な間柄でだけ聴こえてくる生命の音、原初の胎動、それがブレス音です。

 

私はブレス音が大好きです。

遠く手の届かない、触れることなんて叶わない高嶺の花である声優さんたちの、生物としての根源的な生体音声。それをゼロの距離で耳にすることができるのです。こんなに幸せなことはないでしょう。

 

 

……さて本題です。この悲鳴にも似たブレス、一体小宮さん降幡さんのどちらのモノなのでしょう?やはり甲高い音となると妹のルビィちゃんでしょうか。

普段からルビィ役としてピギィと高い声を出す傾向にある降幡さん、実は歌声はだいぶ落ち着いておりそのコントロールは的確です。狙って出すからこそああいう高い音が出せる、そういう声帯の操り方をしていると思います。

一方、品行方正で落ち着いた印象のダイヤを演じる小宮さん、意外に熱が入ると感情のままに声を発することも多いようです。

2番Aメロの

ためらいがちのステップが
熱く変わる頃
いつもならあり得ない 衝動に戸惑うの

このパートはダイヤのソロですが、ここを唄う小宮さんのブレスは各所で高くしゃくり上げがちになっています。

気持ちが入ってブレス量が追い詰められてくると、その確保のために急激な呼吸でブレスを取る傾向にあるのは小宮さんの方のようです。

 

ので、ここの音はダイヤお姉ちゃんの炸裂したパッションなのかな、と。私はそう結論づけました。

情熱的に舞い、唄うその中から溢れてくる生命のサウンド。この一瞬から感じられる彼女の熱量を全神経をもって受け取りたいな、と。

そう考えながらフレーズをリピートし、耳をknock knockされる、そんな音楽鑑賞もたまには如何でしょうか??

*1:参考:新版「音楽の理論」 門馬直美-箸 音楽之友社

*2:是非全身像をしっかり見たいですね!