AQUARIUMと愛のうたをめぐる冒険

AQUARIUMと愛のうたをめぐる冒険

十六夜まよ(@daimarco16)がおんがくを考えるところです

Aqoursの挑戦、Aqoursからの挑戦

皆様ご無沙汰しておりました、十六夜まよです。

 

昨晩、Aqours 2nd LoveLive!~HAPPY PARTY TRAIN TOUR~1周年ということで、BDを取り出し、彼女たちのステージを楽しんでいました。

やっぱりAqoursのステージは観ていて楽しい。心が躍る。

そしてその姿を観ていて心に浮かぶのは、その先にあった3rdツアーと、未だに感想のアウトプットがしっかりできていない、その先の曲たちのこと。

 

実は私、3rdツアー前に記事を書いてから全くAqoursについてのブログ書いてなかったんですよね。

言い訳をすると、3rdの感想やその後の新曲のどれもがとても重たく、よく考えさせられるもので……沢山の考えは浮かぶけれど上手に言葉がまとめられない。そんな大切な言葉・感情の数々を抱えたまましばらくのんびりしていましたが、いよいよ堰を切らせたのがAqoursの2ndの映像だというのはこれまた数奇なものです。

 

なにはともあれ、少しだけ大切に寝かせていた私の気持ち、Aqoursへの想い、そんなこんなを、キレイにまとめる自信はないので今回は無加工で吐露してみる。そんな文章にしようと思います。

いつもと違うスタイルになるのでお見苦しい点もあるかと思いますが、お付き合い頂ければ幸いに存じます。

 

注)歌詞引用はいつものように下線と斜体で表記します。

 

 

●3rdツアーで感じたこと

2018年6月9日の埼玉公演を皮切りにスタートした、ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 3rd LoveLive! Tour ~WONDERFUL STORIES~は、途中いくつかの外的なアクシデントに見舞われつつも、ステージそのものは本当に完璧に、素晴らしい完成度でその幕を閉じた。

私が現地で参加したのは埼玉の初日と大阪の2日目の2公演で、他の公演はLVでも観る機会が無かったため、語れる範囲がそこに限定されることはご了承願いたい。

 

 

3rd埼玉初日の直前、私はあろうことかこんなことを考えていた。

劇場版も残っているし、そもそもそんな明確な言葉が誰かからあった訳でもなく、なんとなくアニメ2期の内容に引っ張られる形で3rdライブが一つの終着点なような、そんな勝手な想像を重ねて勝手に寂しくなっていた部分が少しだけ存在していて。

結果的にそれはAqoursに大変失礼な想いであり、杞憂だったことが初日の公演後に認識されたのだが、それを払拭してくれたのは逢田梨香子さんのMCにあった

「挑戦していくのがAqoursだから。」

という言葉だったように思う。

 

挑戦。

 

Aqoursはいつだって目の前に大きな壁を用意され、きっと我々の知らないところで歯を食いしばりながら、時に乗り越え、時にぶち壊してこれまで前に進んできたのだろう。

勇気はどこに?君の胸に!の詞にあるように、

やり残したことなど 無い
そう言いたいね いつの日にか
そこまではまだ遠いよ
だから僕らは 頑張って挑戦だよね

と、ある種アニメ世界で浦の星女学院の終わりを見届け、3年生の卒業を見送った、そんな向こうの世界のAqoursでさえも挑戦を唄い、そして本当の終わりがまだ遠いことを明確に告げていた。

そこに気が付くことができて初めて、Aqoursがこれからどのように進むのか、何がそこまで我々の気持ちを動かすのか……3rdツアーの何が素敵で、「Thank you, FRIENDS!!」のどこが素晴らしくて、「ホップ・ステップ・ワーイ!」の歌詞が何を示すのか……。

そんな感情の数々を、やっと一つの方向性にまとめられるような気がして。

いつだってそうだったかも知れないけれど、これからのAqoursはより一層この「挑戦」というキーワードと共にあるのだと、そう感じてならないのだ。

 

 

●1stから2nd、3rdへの流れの中で

プロジェクトラブライブ!の根幹にある多方面メディア展開の中で、どの世界が主で従で、等という順位付けは野暮なものだとは思うが、それでもやはり大きな柱として存在するものは「アニメ」と「ライブ」であると思っている。

ラブライブ!サンシャイン!!Aqoursに関してはこれまでナンバリングライブは3回行われ、ファンミーティングイベントも挟まれてきたが大まかに分けるとそのテーマ性は2種類だった。(HAKODATE UNIT CARNIVALは例外とする)

 

1st・3rd→アニメのストーリーを軸に、Aqoursの物語を展開するもの

2nd・ファンミ→そこまでの活動を踏まえた上で、Aqoursの物語を展開するもの

 

Aqoursの物語を展開する」という表記は同じではあるが、意味は全く──誇張ではなく──"次元が違う"と言える。

つまり、前者は千歌たち2次元のAqoursの、後者は伊波さんたち3次元のAqoursの、それぞれ独自の物語を表現するもので、その似て非なるドラマ性こそが我々を魅了するひとつの要であるのだと強く思う。

(以後、千歌たち2次元のAqoursを「向こうの」、伊波さんたち3次元のAqoursを「こちらの」と表現していくこととする)

  • 千歌たちAqoursの物語
    言わずもがな、アニメで千歌たちが経験し、我々が観測したストーリーを追っていく形のライブ。キャストのステージ上のニュアンスも、キャラクターを強く意識したものが強くなり、当然ながら挿入歌のパフォーマンスが多いため映像シンクロや演出上の2.5次元展開が多くなる。

  • 伊波さんたちAqoursの物語
    アニメ以外の楽曲や世界観をキャスト主体で演じる、ライブパフォーマンスに寄ったスタイルのライブ。現実の世界や季節感を大切にし、キャスト本来の魅力やそれを引き出す楽曲選択が行われる傾向にある。

勿論これらは完全に独立したものではなく、そもそもキャストとキャラクターの間にある次元の壁を限りなく取り払うことが声優アーティストの本懐の一つでもあると思っているので、そこを明確に分けることにはさほど意味はないと感じるのだが、敢えて分けるのならば私の中ではこんな雰囲気になる。

本当に細かいニュアンスではあるが、前者は「伊波杏樹演じる高海千歌の」、後者は「高海千歌伊波杏樹の」ステージといった感じ、と表現すれば伝わりやすいだろうか。

 

そして次回……4thライブは後者の、物語の文脈が3次元のAqoursに寄った展開をするライブになるものがある、と私は考えている。

 

 

Aqoursの挑戦

2次元という、3次元の創り手によって創造された世界で、それが物語であるなら失敗することなく困難を打ち破ることができるキャラクター達に対して、3次元の人間はどこまで努力を重ねてもその確率を完璧なゼロにすることは難しい。

 

すごく熱の無い言い方で申し訳ないが、例えば千歌の言葉で自身の輝きを見つめ直した梨子は絶対にピアノを間違えないし、同様に自分を含めた9人にリーダーとして認められた千歌のバク転は必ず成功する。姉の祝福を思い出したルビィは面接会場で強く自身をアピールできるし、彼女たちがステージに立つ時はいつだって健康体だ。
それは彼女たちが、創られた脚本の上で与えられた条件を満たした時に決まった結果を得ることができる、そういったルールの世界で生きているからだ。

 

しかし現実はそうもいかない。

3ヶ月練習を重ねた逢田さんだってピアノを間違えることもあれば、千歌と違い6回も成功させねばならない伊波さんは少しのふらつきで悔しい想いをせざるを得ない。
函館の地で演奏しなかったAwaken the powerに関して誰よりも不安に思う降幡さんは成功の瞬間安堵で泣いてしまうし、諏訪さんや高槻さんが喉の調子を悪くしてしまったこともある。

 

Aqoursが挑戦する最強の相手は、自身が演じるもうひとりの自分、向こうの世界のAqoursである。


我々はそこにドラマ性を見出し、やれシンクロだやれ再現率だやれエモいだと騒ぎ立てる(勿論それは観客として真っ当な受け取り方で、そう感動することこそが客の本懐である)が、キャストにしてみればたまったものではないはずである。

以前μ'sのラジオか生放送で誰かがふと漏らした「新しいPVを観ると、かわいいとかすごいとかの前に『これをやるんだ』って気持ちが先行して身構えてしまう」という言葉が今でも印象的で、きっとその気持ちはAqoursキャストであっても変わらないと思う。

誤解を恐れず言うのであれば、そのプレッシャーはAqoursの方が大きいものになっているであろう。

 

それを負担の押しつけだとか酷使だと言うつもりは全く無く、感情を消費する我々の観点からで言えば、「だからこそ感動が強い」とすら言うことができてしまう。

 

そんな我々の期待なんかも含めて、彼女たちが"挑戦"するのは「Aqours」そのものなのだ。

 

始動直後のこちらのAqoursはμ's全盛期のスタートだったため注目度も今ほどではなく、やはり苦しい想いをたくさんしてきたように感じる。辛辣な言葉を投げかけられるようなこともあっただろう。
初のステージのパフォーマンスも、お世辞にも揃っているとは言えず息も切れぎれ、音程もかなり厳しかったし、笑顔もキープできていなかった。勿論常人のレベルで考えるといきなり3曲をあのレベルまで完成させてきたことは驚嘆に値するが、「今にして思えば」という卑怯な前置きで今の時間の私が語ることはどうか許して欲しい。

 

アニメ1期世界のAqoursは結成後体育館ステージを埋め、地元沼津のアピールに成功し、9人になってからは予備予選を突破後地区予選までコマを進め、10人目となる浦女全校生徒のバックアップを得た。
それに対し現実のAqoursは初の大舞台、観客がまだ品定めのような目線で彼女たちを観るような場面もきっと多く、向こうのAqoursに追いつこうと必死だったように思う。

 

対して2ndやファンミでは、一度勢いのついたこちらのAqoursが味方を増やし、どんどん前へ進んでいく足がかりとなったような印象を受け、実際に彼女たちは彼女たちだけの輝きを身に着けていったように思う。アニメ世界では現在のところ表現されていないデュオトリオやユニットといった編成は、どちらかと言えばこちらのAqoursの武器だ。

 

そして迎えたアニメ2期。一度予選敗退から廃校決定というダウン調のストーリー展開は、そうしてつけられたこちら側のAqoursとの差を暗に示していたようにも感じられる。
しかし彼女たちは負けずに進み続け、それぞれの輝きを再認識し、眠っていた力を喚び起こし、ついにはドームでのラブライブ本戦、全国大会優勝という結果を残した。

 

3rdライブ、向こうのAqoursの残した実績はこちらのAqoursに重くのしかかり、超えるべきハードルは相当なものであったと思う。
散々心配はされたが、伊波さんのバク転をはじめ、11人揃ってのパフォーマンスとなるAwaken the powerの成功やソロ楽曲ステージの存在など再びこちらのAqoursは向こうのAqoursの背中を捉えるまでに成長を遂げた。

 

ここからユニットファンミを経て、次に挑むはドームの舞台。

そうして初めて、現段階でのAqoursAqoursの足並みが揃うのだろうなと、そう感じる。

 

時系列順に彼女たちの軌跡を追うと、常にAqoursAqoursが切磋琢磨しそれぞれがそれぞれの頑張りに追いつこうと、追い越そうと走り続けているのだと思う。

それはまさしく、Aqoursの挑戦であり、Aqoursからの挑戦と言えるのだ。

 

 

●急がないと置いてくよ

そんな挑戦し続けるAqoursと、挑発的なAqoursを踏まえて「ホップ・ステップ・ワーイ!」の歌詞を見てみると、また少し違った意味合いが見えてくる。

一般的には「僕ら」をAqours、「君」を我々ファンとして捉えてAqoursが我々を次のステージへいざなう曲として見るのが妥当だとは思う。

が、その両方を「Aqours」で置き換えた時に私は、向こうの9人とこちらの9人とがお互いを高めあい、それぞれのステージへを引き上げる、手を引く歌のように思えてならないのである。

 

一緒ならできる
なんでも そう思ってるよ
だってほら ここにいるってさ
そういうことさ

キャストがよく表現する「キャラと一緒に」という言葉は、演じ方のスタンスがどういう形であれキャラを自分なりの形で具現化し、共に生きることを言っているのだと思うし、声優という職業の一番の魅力はそこにあると考えている。

 

だからかなったユメの先は
新しいユメ 探しに行こう
君の目が Ah... ときめきを待ってる
もちろん僕らも だよ

かなったユメ、叶えられた夢はこちらのAqoursにとっての次の目標となり、叶えるべき新しい夢となる。向こうのAqoursが先行する形が多いので、その1歩進んだ先でこちらを振り返り、少しだけ待っていてくれる……そんな関係性を感じるフレーズ。

 

さあおいで さあおいで
急がないと 置いていくよ
楽しい世界への旅だよ わーい!

そしてサビ。「急がないと置いていかれる」のはきっとどちらのAqoursも一緒で、これまで駆け抜けてきたスピードを考えると本当に一瞬たりとも気が抜けないのだろうなと、そう感じる。でも、だからこそ彼女たちは常に新しい、見たことない夢を追いかけて走り続けることができるのだろう。

 

みんなおいで さあおいで
集まれば元気な 僕らのパワーと
君のハートで 明日へ 向かおう

このフレーズが1番好き。「集まれば」と言われるようにいつか来るAqoursAqoursが立ち並ぶ瞬間に、彼女たち18人の力が一緒に表現される時にどんなものが観られるのか、楽しみで仕方がない。
「僕らのパワー」は作品やコンテンツの持つエネルギー。キャラクターである千歌たちの魅力やもっと大きな「楽しい」という力そのもの
「君のハート」はそんなキャラに心を宿らせ、輝きを生み出すキャストたちの気高い精神性

この両者のチカラで「明日へ向かう」。まさにラブライブ!というコンテンツの今後、といった言葉であるように感じるのだ。

2番以降も似たような解釈ができると思うので、興味を持った人はそんな視点で読み込んでみて欲しい。

 

 

●声のかぎり 呼んでみるよ

同じ観点から、「Thank you, FRIENDS!!」を聴いていると、これはもうAqoursからAqoursへの言葉」にしか聞こえなくなってしまった。

解釈、感じ方は人それぞれだし、それを否定する気持ちは全く無いが、ここで唄われる「FRIENDS」が我々であるようには私は思えない。

これはc/wの「No.10」が明確に我々(10人目)に向けた曲であることとも関連していて、そうであるなら尚更こちらの曲では10人目のことは気にしないものなのかなあと、そういう部分でバランスを取りたくなってしまう。

解説記事のつもりではないので、こちらは歌詞を引っ張り出して「ここがこう」と逐一説明するのも蛇足だろう。私はこの曲を聴いて、そう感じるんだというところだけに留めておこうと思う。

 

でもやはり、そう誤魔化してみてもこの曲の本質からは逃げられないように思う。

 

以前μ'sの記事でも書いたが、どうにもこの、プロジェクト終盤の卒業や終わりが見え隠れする感傷的な楽曲は好きになれない。
単に盛り上がる曲が好みという嗜好性もあるのだが、畳み掛けるような感動を「ほら泣いていいよ、寂しいよね、泣けるよね」と捲し立てられる感じがどうにも慣れないのだ。(ある種の被害妄想かもしれないが)

そもそも4thがファイナルライブではない(だろう)し、劇場版もあるのでこの気持ちは記事の冒頭で「払拭された」と言及したそれを同じではあるのだが、かといってこの曲の歌詞から感じる別れの予感からは逃げられない。

 

何かが在り続けるのであれば、その終わりは感じない。
死がいつか来るから永遠の命なんてものを求めるように、「永遠って言葉が 出てきたよ不思議と」という感情には、そこにいつか必ず来る「終わり」が感じられてしまったからなのだと思う。

ドームが終わって、ファンミーティングが終わって、劇場版が終わって……その頃の世界でAqoursがどういった存在になっているか想像はつかないが、そこからあと5年間活動します!ということは無いように思う。1年なのか2年なのか、もっと短いのかは判らないが、確実に見えてきている「終わり」の瞬間に対して、私はただ「寂しい」という感情に流されるだけではなく、そこも含めて今度は全力で「楽しむ」ためにAqoursへ向き合わねばならないのかな、と。

 

それがきっと、Aqoursから私への挑戦

 

 

●9人9色の挑戦

Aqoursとして、という以外にも、3rdではキャストそれぞれがキャラクターと向き合う場面が存在した。それがソロ楽曲のステージである。

各メディアで言及されているように、ソロのステージは演出を含めたステージングをキャストに委ねられていた部分があり、各々がいろいろな感情・考えをその表現に持ち込んだのだと思う。そこから感じたキャストごとのキャラクター観のようなもの、演じるスタンスなんかをここで簡単にまとめられたらと思う。

 

そもそもAqours楽曲と違い、ソロ楽曲はキャラクターだけではなくキャストにとっても「オーダーメイド」の曲である。
歌詞だけではなく音域も、担当に合わせて各クリエイターが調整を行っているものであるはず。
何故ならば歌うのは画面の向こうのキャラではなく、こちら側のキャストだから。その声帯を駆使して表現する歌の世界は、半分はキャラのものではあるが、もう半分はそのキャストのものである。

そういった点では、3rdライブの中でソロステージだけは、「こちらのAqours」寄りの、キャストを軸にしたステージであったとも考えられる。

 

  • 伊波杏樹~特別な輝きが欲しい!~
    先述したが、3rdライブにおいて伊波さんが行ったことは「千歌の再現」のレベルではない。
    同じ曲を2度使えない向こうの世界のラブライブ大会のルールもあり、千歌があの勝負をかけたのはきっと1度きりなのだろう。一発勝負と言うと博打感が強いが、一度成功すればOK、と考えるとリターンを考えた時に分の悪い賭けではないように感じる。
    一方伊波さんに関しては、実は要求されたものが「6連続成功」であった。
    あれだけドラマ性の強い演出で仮に失敗があった場合、肉体的なダメージもではあるがそれ以上に精神的にキツい。「できるかな?できる!」という歌詞が直後に歌えるか?と考えると想像するだけで胃に悪い。当事者としては大変なプレッシャーであるだろう。
    これも先述したが、それが負担だとか問題あるというようには思っていない。結果だけ見て、彼女はやり遂げたし、そうなると信じていた。
    直後に彼女の発した「千歌、跳んだぞー!」の叫びは、伊波杏樹として千歌へ届けたメッセージだったのかもしれない。

    少々前置きが長くなったが、そんな彼女の向き合い方は「千歌と自分を完全に分離し、千歌へもうひとりの千歌として自分の輝きを届ける」スタンスのように感じる。
    ソロ曲「One More Suhshine Story」は、千歌の「Story」とは違う、もうひとりの千歌としての、伊波杏樹の「Sunshine Story」を「One More」として伝えているように思う。
    彼女が生きる役者としての舞台や、そういった人々の共通の夢とも言えるブロードウェイの景色。
    それをあの日ステージ上で表現していた彼女は、私にはもうひとりの主人公のように感じられて誇らしかったのを覚えている。


  • 高槻かなこ~晴れるよ 胸の空は~
    彼女は本当に歌が巧い。特にここ数年で身に着けた技術は相当なものだと思うし、日本語の細かい発音や聞き取りやすい子音処理なんかは日本の他の声優やアーティストと比べてもトップレベルの明瞭さであるように感じる。
    それも全部、彼女が花丸へと自身を寄せる努力に他ならない。
    1stで語った、花丸との乖離で悩んでいたことや、そこから1歩踏み出せたことを経て、確かにそこからの伸び方がすごかったように思う。
    HAPPY PARTY TRAINの花丸ソロで特に上手いと感じたtとsの子音処理はソロ曲である「おやすみなさん!」にも多用されており、テキストとサウンド両方から彼女の歌の巧さをお仕上げているように感じられた。

    「きっと花丸ちゃんもそう思うから」とステージを降り、トロッコで客席へと向かう選択をした彼女のスタンスは「キャラと一緒に成長し、共に歩む」スタイルであるように思える。

  • 小林愛香~私とあなたとワタシなら~
    彼女は本当に歌が上手い。発声技術や音量・音程コントロール等純粋な歌唱技術がハイレベルにある。あの細い身体のどこにそんなエネルギーがあるのか疑問であるが、安定感が抜群でパフォーマンス力も高い。
    歌声は本来、立った状態が1番出しやすい。横隔膜の上下で肺の空気圧をコントロールし、それを声帯で加工して音とする「歌」の場合、下半身の内蔵が自由に上下できる状態でなければ本当の力を出すことができない。
    ところが彼女は最初、あの激しい「in this unstable world」を座ったまま歌い上げたのである。あの細い身体のどこにそんなエネルギーが……。

    そしてそこまでの技術を持ち合わせながら、彼女のスタンスはヨハネの1番のファン」。公言していることなのでほぼ間違いないのであろうが、善子が、堕天使ヨハネがこの世界で羽根を広げるために、自身が手を貸すような気概を感じる。
    まさに「私とあなたとワタシ」という3者が手を取り合う世界観そのまま、である。

  • 逢田梨香子~一人で向かう鍵盤だけど~
    ソロ楽曲の中で群を抜いてキャスト寄りだと感じたのは梨子ソロの「Pianoforte Monologue」だった。
    衣装が。手首のシュシュが。登場時の腕を伸ばし、何かを掴むために掌を広げるポーズが。
    あの日の第2楽章。それが逢田梨香子さんの「Pianoforte Monologue」
    梨子やAqoursが、逢田さんへと贈るメロディ。それ以上の説明は不要かと思う。

    彼女が演じるスタンスは「梨子に寄り添うことで彼女が力を貸してくれる」ような感じ。自分が演じることを主に置きつつ、寄り添ったキャラが自分にはない力で引っ張っていってくれるのに任せるような、一種のトランスを感じる。


  • 斉藤朱夏~大事なのは「好き」がある毎日です!~
    最年少のムードメーカー、彼女の可能性は正直計り知れない。
    歌を歌うのは体力勝負で、基本的には膂力で生み出す空気の流れが声帯で加工されるものであることは前述した通りで、高槻さんあたりは特に声帯での加工が、小林さんは全体的なコントロールが巧い、上手いと表現されるが、彼女はとにかく筋力で全てをもっていくタイプである。
    運動部から借りてきた助っ人がめっちゃ良い声とか、弱小合唱部にはよくあることだが、そのカラクリはこれである。
    要するに磨けば磨くほど光る原石。多分素の状態であれなんだから、本気でボイトレのみに集中していて分野の違う世界にいたら、また違ったところで彼女の名前を見ていたかもしれない。そんな子。
    ソロ曲「Beginner's Sailing」を私が観たのは大阪公演の2日目だったが、ド肝を抜かれた箇所が2つあった。

    まずは冒頭、舞台射出を行ったことである。
    これは私の完全な妄想ではあるが、ラブライブ!史上1番の「事故」はμ's4thのBiBiステージ、「Cutie Panther冒頭で舞台射出を行った際にPileさんのバランスが崩れ、着地に失敗したことであったと考えている。
    身体の2倍程度の高さまで打ち上げられるあの装置、実は結構危険で位置エネルギー的にも失敗時のリスクはバク転どころの騒ぎではない。
    実際、あれ以来舞台射出をラブライブ!の現場では見なかったように感じていて、スタッフ側にも封印を余儀なくされる傾向にあったのだと思う。
    それを打ち破り、数年ぶりに演出として取り入れた斉藤さん。スタッフ側も、彼女なら使いこなせる、と信頼できる身体バランス。そんな子。

    2つ目はCメロ「Sailing now まだわからないね」の部分。
    ここ、CD音源だと裏声で丁寧に処理しており、多分彼女の音域ギリギリの最高打点の高音なのだと思うのだが……あろうことか本番で、彼女はそのまま勢いと筋力で地声のまま張って唄い切った。多分本人も限界を超えていたし、他公演のステージでどうだったかを見ることができなかったので比較ができないのだが、秘めた可能性の片鱗、身体能力の暴力を垣間見た、鳥肌の立つ瞬間だった。

    そんな彼女のスタイルは、正直なところ掴み切れていない。声優としても「多くの可能性を秘めた原石」として、曜と様々な形で自分なりの輝き方を見つけていって欲しい。


  • 降幡愛~あと一歩 勇気ください~
    彼女のこれまでのスタイル、黒澤ルビィをステージ上に再現する」は、その時点で非常に完成度が高く「キャラクターになりきる」精度はメンバー中随一であると感じている。
    そのスタンスは素晴らしいものであるし、表現者として尊敬できる部分が多々あれど、降幡さん本人としての部分がルビィに隠れてしまい見えづらくなってしまうのが少しだけ物足りないと思っていた。
    しかし、彼女はそのさらに先を歩いていた。
    福岡でのMC内容のまた聞きであるので正確性には目を瞑って欲しいが、彼女が発した「ルビィが先に歩いていって、それに追いつかなきゃと思った」という感覚は、この記事で私が語ってきたAqoursからの挑戦」そのものに他ならない。
    自身にキャラを重ねてきたスタイルを貫く彼女が、投影したキャラクターが自分を超えて先を行く感覚を経験しているのは次のステージへの進化であると思うし、そんな感覚を身に着けた彼女の4thライブでのパフォーマンスは本当に楽しみで仕方がない。

    ソロ曲「RED GEM WINKはそんな彼女ならではの、「ルビィの完全コピー」。
    観客席の我々に向けて手を振る際に漏れ出た無邪気な笑い声は、アイドルへのあこがれを胸に抱き続けるルビィの心そのものだったと思うし、その歌声は我々のよく知る黒澤ルビィだった。
    そういった点でも、彼女はまた違ったウマさを持った人物であると感じている。
    いつか進化の先で、降幡さんとルビィの並び立つ姿が見られたら……なんて期待が少しだけ。


  • 小宮有紗~私と似てるから惹かれるの 戻れなくなるの~
    黒澤姉妹でのソロ曲の対比、リンク感を以前試聴動画が出た時に当ブログでまとめたが、その解釈が概ね演出者(後に演者)と一致していたのだと確信を持てたステージ。
    吹きすさぶ雪、冬のイメージと孤独な恋心、隠しきれない情熱……。そういった「WHITE FIRST LOVE」に込められたメッセージをもれなく網羅してくれたステージだったように感じる。

    彼女の演技スタイルについては、その感想記事でも一度触れているため引用で引っ張ってくることにする。

     

     私は以前、小宮さんの歌い方についてこのように印象を述べていました。

    これについては今も変わらずそう思っていて、彼女が女優であるが故に、1人の人物を演じるにあたって本気で役と向き合っている結果だと思うのですが、この2種類のニュアンスの違い、伝わるでしょうか。

    前者は一般的な声優さんのアプローチで、これも十分にすごいことなのですが、「歌声」って「地声」と結構違うものだと思うんですよね。

    普段低めの声の人が、歌になるとキレイなハイトーンを張れたり、逆にキンキンの声質の人が歌う時にはしっとりした響きを持たせられたりと、「人物の地声」と「歌声」は関係しながらも少しだけ別のものである、というのが私の持論です。

    彼女は、黒澤ダイヤという人物を自身の中に吸収することで、黒澤ダイヤとして歌う」に留まらず、「歌う黒澤ダイヤの声」を「演じる」ことができるようになっているのではないか、と私は考えています。

    これは自身にルビィを投影し再現する、といった降幡さんとは真逆の方法(当然ながら降幡さんはその純度が桁違いに高いので彼女も本当にすごいです)、どちらかというと彼女にしかできない手法であるように感じているのですが、やはりそこは女優としての彼女の役との向き合い方からくるものだと思います。

    このアプローチが以前は歌そのものに慣れていなかったことも含めなかなかダイヤと噛み合わず、表現力が十分に発揮できない状態だったのではないかと思うのです。

    そして今、スキルアップと共にダイヤへの理解も深まり、いよいよその芽が花開こうとしている、そんなタイミングなのだと感じました。

    以上、だいぶダラダラと持論を語りましたが、小宮有紗さんが他の声優さんとは一線を画す方法で、素晴らしい伸び幅でもってダイヤのソロを歌いこなしてくれている、非常にレベルの高いことをしているのだということが伝われば私は満足です……!

    小宮さんのインタビューで「最初はダイヤが自分と似ているからダイヤ役を希望していなかった」と言っていたのを見たことがある。
    役者として役と向き合う際に、彼女が演じることを想像する時、似ている人物が相手だと逆に難しかったり、自分に引っ張られすぎたりするのかもしれない、と拙い想像をするのだが、そんな心情はこの曲の2番サビ歌詞

    あなたの目がきっといけないんでしょう
    孤独な光が
    私と似てるから惹かれるの
    戻れなくなるの

    といったところにも現れているのかもしれない。


  • 鈴木愛奈~歩き出したら もう一度夢見よう~
    彼女が言うまでもなく歌が上手く、本当に巧いことは説明の必要がないかとは思う。これまで高槻さん、小林さん、斉藤さんの部分で触れた上手さ、小宮さんのところで触れている「キャラの歌声」を再現する力、雑に言えばその全てを兼ね備えた最強の存在が彼女である、と私は信じて疑わない。
    何よりも声帯が強い。鞠莉の「シャイニー☆」に代表されるハイトーンボイスにしても、彼女はそれは難なく発してケタケタと笑う。なんかよくわからないイルカみたいな音波も出る。天性の伸びの良い声帯に、長年の練習に裏打ちされたテクニックが乗るのだから、そりゃ上手い。

    そんな彼女の演出した「New winding roadのソロステージは、小原鞠莉役の声優として、という世界観を超越して、あの瞬間だけは鈴木愛奈さんのコンサート会場であったように思える。
    マイク1本で会場全体を捻じ伏せた歌唱力と、背景に歌詞テロップが入る画面はTV番組の歌謡ショーのようで、そこにはまさに彼女の望んだ夢の一端が表現されていたのだろうなあ、と胸が熱くなった。
    特にラスサビ前の無音部分、本当にあの瞬間は真の静寂が空間を支配していて、それが全部彼女の歌声によって演出されたものであることを肌で感じて、鳥肌と涙が止まらなかった。何度も胸を抉られ、冷静に立っていられないようなエネルギーを「歌」で直接叩き込んできた彼女の力は途方もないものだったのだと今でも鮮明に思い出せる。

    鈴木さんの演技スタイルも本人とキャラがハッキリと独立した「別々の景色を見て、並び立つ」スタイルであるように感じる。その中で共通するもの、違うものをそれぞれ表現しながら、一緒に歩んでいくのが今の彼女達なのかな、と。

    余談ではあるが……ラブライブ!を通じて、新たな夢やこれまで持っていた夢へ羽撃く機会を得られること。これは本当に素晴らしいことだと思っているし、私はそれを私利私欲であるとか作品を踏み台にしている等と断ずる感性が信じられない。
    キャストがキャストとして夢に踏み出すことができる、そんな舞台が多くの現場の多くの声優たちに開かれていることを切に望む。


  • 諏訪ななか~人にまた 戻りながら~
    「ステージ上の私は果南だから」という彼女の言葉も強烈に印象づいていて、降幡さんとはまた違う、どちらかというと諏訪さんは憑依型の演技スタンスなのかなと感じている。
    果南に身体を貸す。果南が諏訪ななかの身体を動かす。曲が終わって、自分に戻ると改めて諏訪ななかとしてMCやコメントをする。

    「さかなかなんだか?」の冒頭で入るラジオのスイッチは、彼女に果南が降りてくる前触れなのかもしれない、と思ったところで、それでもなおステージ演出を考えたのは彼女である、と想いを馳せた。
    2期でだいぶイメージが変わったが、松浦果南という人物はどちらかというと冷静沈着、クールでサバサバした姐御、といったイメージを抱かれていたと思う。
    そこに諏訪さんが演出してきたのは、ファンシーでガーリーな海のステージ。あれは彼女の趣味もあるとは思うのだが、それだけじゃなく果南の持つ乙女でかわいいイメージをどうにか解ってもらいたいと、演じている最中は果南にしかなれない彼女の、盤外からのメッセージだったのではないかなと感じている。
    曲のラスト、

    私はおさかな
    そんな気持ちのまま
    ゆっくり目を開けて 足もつけて
    立ち上がる 人にまた 戻りながら
    でも心は 軽くなってた

    ここで「人に戻る」のは誰なのだろう。

以上9人分、ソロステージとそれぞれの演技スタンスについて、これまでのステージや3rdライブを観て私が感じた諸々の感情や感想をまとめてみた。

やはり共通する意識は「挑戦」であるように感じられる。これまでの自分やキャラクター観から1歩踏み出し、次の段階へコマを進める。そういった意識が感じられる、エネルギー溢れるステージで、しかも終演後にキャストの口から「演出は自分たちで考えた」という言葉まで出てきている。
これほどまでに恵まれた環境で表現するキャスト自身と、キャラクターについて、ソロステージに込められたメッセージの濃さはここだけで語るには余りある内容だったのではないだろうか。

 

 

Aqoursのこれから

以上ここまで、まずは長々とした思考の垂れ流しにお付き合い頂いた皆様には深い感謝を述べさせて頂く。

私が今のAqoursに感じている「新たな挑戦」の気概、そして、向こうのAqoursに感じている、「ここまでおいで」と挑戦を待つ、余裕の笑顔。

こちらのAqoursはまだまだ挑戦者として、向こうのAqoursは挑戦を待つ者として、そういった意味での「Aqoursの挑戦、Aqoursからの挑戦」という趣旨で考えをまとめてみた。

 

これから4thライブとユニットファンミ中盤戦、劇場版からのファンミ後半戦。
そしてその先のプロジェクトの展開はどうなるのか。

 

まだまだ先が長いであろう、プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!について、今私が抱く気持ちは、とにかくキャストが伸び伸びと様々なことに挑戦してくれると嬉しいなあということである。

もう3年が経過し、キャストもキャラクターもある程度の成熟を見せているこの段階で、それでもAqoursは常に新しいことに挑戦を続け、我々の想像を何倍も超越してくるような、そんな世界を見せてくれると信頼しかない。

 

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最後に、これから臨む4thライブのキービジュアルについて。

 

劇中では富士山が度々「頂点」「未だ届かない頂き」の比喩として表現されてきたが、このキービジュアルはそこから飛び出し、その更に上……つまり、ラブライブ優勝のパフォーマンスで「雲の上のような景色」を見た向こうのAqoursの、さらに上を行くぞという「Aqours」の決意の現れなのではないかと私は感じている。

 

これまでも、これからも、「見たことない夢の軌道 追いかけて」、私自身も10人目に恥じない気持ちで彼女たちを追いかけて行こうと思う。