新たな約束。~何度だってその名前を~
皆様こんばんは、十六夜まよです。
11月17日と18日、東京ドームで行われたAqours 4th LoveLive! ~Sailing to the Sunshine~。
今更私が何かを言うまでもなく、多くの人に取っての素敵な物語が展開され、多くの人の人生が肯定された2日間だったのだろうと思います。
あの日の直前、私はとても自分勝手で我儘なお願いをAqoursに託し、そしてその気持ちを持って東京ドームに臨みました。
が、結論から言うと、その記事の中で語った私の願いや想い、それらはAqoursによって完全に忘れさせられ、その日私が考えていたのは100%Aqoursのことでした。
μ'sがファイナルライブを行ったその会場で、置き去りにされたはずの私の心は、1日目が終わる頃にはすっかり開放され、2日目には忘れ去られるくらいに落ち着いていたのです。
ある種の「呪縛」として存在し続けた東京ドームというステージのプレッシャーは、勝手にAqoursへの願いや一方的な約束として形を成そうとして……Aqoursにより、見事に打ち砕かれたのです。
ラブライブ!はいつも我々の想像の遥か上を行く世界を見せてくれて、絶対に期待を裏切らないのに、そこでもなお自分は想像の中でだけAqoursの展開するものに勝手に「ここまでしてくれれば最高だ」という期待の限界という蓋をして、檻に閉じ込めて。
全てを浴びたあとに「楽しい」という感情しかありませんでしたし、感動しか残らなかった2日間だったので、例えば事前にそんな態度でいてしまったことに対して「恥ずかしい」とか「Aqoursに申し訳ない」なんて思うことが一切なかったのはひとえにAqoursの力なのでしょう。
まあ、そんな勝手な約束だったんですが。
生まれてしまいましたね……新しい約束。
これまでの約束は、過去を追いかけ続ける真剣でありながらも悲しい呪縛でした。
しかし彼女たちはあの場所で、新たな約束をしてくれたのです。
「また、ここに戻ってくる。」
「10人目の皆と一緒にまたこのステージに立つ。」
未来を見据えた、彼女たちにしかできない、新たな約束。
勿論、μ'sの皆も大切ですし、彼女たちを追いかけた時間も私にとってかけがえのないものです。
だけれどいつかその真剣な気持ちは自分とAqoursを縛っていたのだと、恥ずかしながら4thのステージを終えてやっと気付けたんですよね。
あの日、私のこころはやっとサンシャイン!!1期12話でμ'sのポスターを剥がした千歌ちゃんのマインドに追いついたのだ、と少し経ってから実感しました。
自分だけの輝きを掴むための、新たな道、新たな約束。
あの日私が受け取った2つの感動とともに、年末が迫った今、来年への気持ちをここに綴って2018年のシメとしようかななんて思います。(現在23:20)
●やっと手にした……
Aqoursの楽曲、本当に多くのものが出てきていますが、世間一般で評価されているものに対して自分はそこまで乗り切れない……みたいなものは皆さんそれぞれあると思います。
私にとっては「MIRAI TICKET」がそれでした。
節目となるタイミングにかかる挿入歌ですが、私はどうにもこの曲の評価を「いい曲」以上にはできず、少しだけ燻っていたように思います。
ですが、あの日Aqoursが船に乗って登場したあのとき。
「船が征くよ 未来へ旅立とう」と、輝かしい未来への「船出」を歌う彼女たちの言葉は、本当に私にとっての「祝砲」であるように思えたのです。
私事ながら、この12月から私は故郷の北海道を飛び出し、関東で新たな生活を始めています。
夢にまで見た、都会での新生活。
その生活に関わる基礎の部分、新しい職への内定が、このライブの直前に決まっていたのはまさに運命であったように思えます。
そんな自分に、「MIRAI TICKET」がぶっ刺さったんですよね。
あの日、「やっと手にしたMIRAI TICKET」を翳し、船出の風を浴びていたのはAqours9人と、そして私でした。
あれ以来、この曲の持つ意味が冗談抜きで500倍くらいに響くようになって、掛け値なしに「好きな曲だ」と、そう言えるようになった気がします。
●Thank you,……
そして、11月18日。あの日の本当にラストの瞬間。
「アンコールは予定調和の世界で、ダブルアンコールなんてものは簡単には成立しない」
それが私の持論でした。
これも一緒ですね。どこかで演出やホールの限界を勝手に設定し、ラブライブ!の現場ではそういった衝動的な、本来の意味での「アンコール」は存在しないと、そう決めつけていました。
ですが、あのとき。
ふと、思ってしまったんですよね。
「いま、ここでずっと自分が声を出していれば、歌い続ければ、もしかしたら、もしかして……」
東京ドームの高い、高い天井に向けてお腹から精一杯の、「良い声」を。
万感の想いを込めて、喉が潰れても構わないというくらいの「ありがとう」を。
隣にいたぺこさんが「この人のこんな声聴いたことなかった」と後に語るくらいには、精一杯叫んでいたあの瞬間。
そうしたら、出てきたんですよね。彼女たちが。
そんなのあるって思わないじゃないですか。「これで終わり」って考えていたステージの終わりのその先に、本当に現実的ではない、ありえないって思っていた形でもう一度大好きな人達が登場してくれる。
泣きじゃくる降幡愛さんの「皆が、歌ってくれた……。」という言葉が、私にトドメを刺しました。
「人生にはときどきびっくりなプレゼントがあるみたいだ」という言葉の通り、あの日私は多くのプレゼントを受け取ってしまいました。
今後の人生への追い風となるエールと(余談ですが、フランス語で「エール」は翼って意味があるとかないとか)、ありえないと思っていた最大限の感動を。
もう、この人達から自分は逃げられないな……と、そう思わされましたし、やっぱりこのコンテンツと添い遂げることが自分の残りのオタク人生の過ごし方なのだろう、と改めて思わされました。
●その名前を何度でも
そんな激動の2018年、前半は仕事に忙殺されて精神が死にかけていましたが、そこから抜け出すために一大決心をし、夢へ羽撃くことができたのが後半戦でした。
11月にAqoursに素敵なプレゼントをたくさんもらい、12月に新たな人生を始めて、大きな1歩を踏み出せた、良い年だったと思います。
この先2019年にも、私はきっと何度だって彼女たちの名前を、ありがとうの言葉と一緒に叫び続けるのだと思います。
30歳をいつの間にか回っている人生ですが、正真正銘の再スタート。割と真剣に第2のスタート。
きっと2019年はそんな年になると思います。
こんな雑な形でまとめることになった記事ですが、年の瀬に駆け込むには丁度良いかななんて。
ひっそりと投稿します。
読んでくれた皆様、今年もよろしくね。
2018.12.31 十六夜 まよ