AQUARIUMと愛のうたをめぐる冒険

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十六夜まよ(@daimarco16)がおんがくを考えるところです

デュオトリオ「転」:悠久の故郷・"刹那の夏"へのアンチテーゼ?

皆様おはようございます。まよです。

 

 

AqoursデュオトリオコレクションCDVol.1の魅力を考えるこの記事も半分を過ぎ、折り返しての3曲目となりました。今回は

地元愛♡満タン☆サマーライフ Sounded by 渡辺曜×津島善子

について想いを巡らせていこうと思います。

注)歌詞についてはアンダーラインと斜体表示で引用とします。

 

 

・「転」の要素

このアルバムが曲順で起承転結の構成となっていることはこれまでで何度も触れてきましたが、ではこの曲はどういった点で「転」と成り得るのでしょうか。

(これはねー、"点"と"転"をどっちも"てん"って読むのにかけた……)

調性を見ると、イントロからサビ前まではニ長調、サビからはホ長調となりますが、これらはそれぞれ前者が歓喜」「活発」、後者が「輝かしく温和で喜ばしい」と表現されています。*1

1曲目に突き抜けた明るさを、2曲目では燃え上がる情熱を表現してボルテージを高めてきた流れで、ポジティブな雰囲気を表現しつつも一旦テンションを落ち着かせる役割を持っているのがこの曲の立場なのかなという印象を受けました。

サビからの歌詞にも

おやすみ気分で

のんびりするのもいいでしょ?
と、「ここで一旦休んでいこう」というニュアンスの言葉が多く採用されています。
特に、2曲目「真夏は誰のモノ?」で熱を持った気持ちをクールダウンさせるという意味では、彼女たちの衣装が持つユニコーンリザードのイメージにもピッタリと寄り添うものなのではないでしょうか?

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ユニコーンリザードじもあい
青と白を基調とした衣装テーマは、ちょうど善子それぞれのイメージカラーとも一致し、この2人ならではの雰囲気を存分に発揮していると思います。
夏なのにブリザード?という意見も当然見受けられますが、冷気や氷といったものは夏だからこそ価値があるものでもありますし、一服の清涼剤として投下されるのであれば、逆に相応しいものになるのではないかと私は考えます。
ちなみに「青・白」という色のイメージはこの曲そのものにも備わっており、1曲目では強烈な日光・太陽の黄色や山吹色というイメージが、2曲目には炎と夜の紅と黒のイメージが感じられる、と書きましたが、この曲では海や波といった青、そして柔らかい日差しの白(透明に近い)といった感覚をサウンドの中から感じることができました。
判り易いところでは、イントロにある波の打ち寄せる音、そしてカモメの鳴き声なんかがモロにそういったイメージとつながりやすいのではないかなと思います。
 
 

・多くの対比表現

この曲には様々な対比表現が含まれているように感じます。前述した曲の雰囲気をヒートアップからクールダウンへ持っていく動きが1つ目。

2つ目は視点の大きな変更で、歌詞の冒頭、

遠く続いてる 海の先には
どんな夏があるのだろう?

という部分、これが表現しているのは直前の黒澤姉妹による「異国の夏」なのだと私は想像しています。(詳しくは前回記事を参照して下さい)

一度視点を遠くの海の先、幻想の世界の情熱の国へ向け、そこから

いつか確かめたい キモチもあるけれど

イチバンはこの場所って気がしてる

と、それでも「この場所」が良いと一気に場面を引き戻しています。

あんな夏の形もある、という考えの後に、でも私達のイチバンはここなんだ、という表現で、その気持ちを強調しているのだというように感じられるのです。

そして3つ目は、「永遠」が表現される歌詞が多いことです。

最初の記事で「夏の刹那性」がこのアルバム全体のテーマとなっていると述べましたが、この曲の中ではそこに敢えて反対のテーマをぶつけることで、一度ニュアンスを打ち消し、そして来るべき終曲へ向けてテンションを引き締め直している、そんなイメージが感じられました。

例えばAメロ、

ぱーっと派手じゃない? でもこの海は
ずっと私たちのコトをいつも見ててくれた 
喜びも 涙も 知ってるの 
昔からの浜辺

からは、「ずっと見ててくれた」「昔からの浜辺」というように、過去から現在に至るまでこの風景が存在し続けていることを描写しています。

サビの 寄せて返す波の声 というのも、地球が水の星となってから数億年繰り返されてきた波のささやきを永遠に続いているものとして取り入れているように思えます。

極めつけは2番のサビで 今度の夏も ここで過ごそうよ と歌っているところ。

何度も繰り返してきた「今年の夏は一度きり」というテーマに対して、「今度」があることを示唆しています。

これには別の理由も伴い、後述しますが、やはりどれもが「刹那の輝き」「期間限定である美しさ」等のテーマとは相反するもので、この曲そのものがアルバムテーマへのアンチテーゼとして働いているのかな、と考えています。

まとめると、曲調や視点の表現、そして「永遠」を持ち出すことでこれまでの雰囲気やメッセージを一旦打ち消し、スッキリとさせる清涼剤。それがこの曲の役割なのではないかというのが私の考えです。

これには爽やかでサッパリとしたイメージを持つ曜と、矛盾した2つの存在を両立させ印象を強烈にさせる善子のそれぞれのパーソナリティが色濃く反映されているのではないのかな、とも考えています。

 

 

・この2人である理由

「地元」という言葉を、皆さんは普段使いますか?

大抵の場合、一旦故郷を離れ、別の土地から見返した時に故郷のことを指して「地元」と表現することが多いと思います。

そもそも故郷というのは(都市開発や災害等で失われる場合を除いて)各個人にとって永遠のものであり、その人が帰るべき場所として死ぬまで心に在り続ける一つのアイデンティティであると考えます。

1曲目夏への扉で少し触れたように、来年の夏にはAqoursに今の3年生はいない、はずです。

その時に彼女たちはどこにいるのか。内浦に残るのか、進学や就職で他の地域へ旅立つのか。そこは計り知れない部分ですが、仮に内浦を離れるか、少なくとも浦女からは離れた生活を送ると考えた時、彼女たちが想う「地元」は勿論内浦・沼津であり、母校、そしてAqours(の後輩たち)であると思います。

今回のデュオトリオで分かれた各ユニットのうち、この2人の組み合わせにのみ、3年生メンバーが含まれていません

だからこそ、この曲では「今度の夏もここで過ごそうよ」と歌うことができ、その言葉の先には故郷を離れた現3年生がいるのかな、と私は考えます。

そんな、故郷を離れる者に取っての帰るべき場所、悠久に残り続ける「地元」としてその土地への愛を唄う彼女たちのこの曲は、一度限りの夏を打ち消し、来年以降も続く新たな関係性の形を想い描くものなのかもしれません。

そして自分たちが誰かに取っての「地元」そのものになろうというその心構えこそが本当の「地元愛」なのではないでしょうか?

 

そこに住む人々の地元への愛も"じもあい"

そして、今は遠くに居る人を地元から想う愛もまた"じもあい"なのかな、と。

 

 

・破壊力を持った「好き」!

最後に、私が個人的にこの曲の構成の中で1番面白いなぁと思う表現を語って締めとしようかなと思います。

サビの最後、

砂をサクサク 踏みながらおしゃべりしようよ
ほらっ 地元自慢のサマーライフ!

では、音の区切りが「ほらっ」の部分で独立し、次の「地元自慢の~」へ受け渡される形になっています。

ところがラスサビでは

空がキラキラ
目を閉じてもまぶしい渚が好き
地元愛♡満タン☆サマーライフ

というように、文章の区切りとしては「渚が好き」という文となるところを、同じメロディに当てはめるために「好き」だけが非常に強調された形で飛び出してきます。

アイドルとして歌う2人の美少女が曲のラストで放つ「好きっ」という跳ねた音声に、どれだけ破壊力が込められることか。

そしてこれまで「地元自慢」としか言っていなかった部分をタイトルである「地元愛♡満タン☆サマーライフ」と変化させて歌詞を締めるこの構成は、多分計算され尽くしており、流石畑亜貴先生だな……と舌を巻く限りなのです。

もう3日後に迫った埼玉公演。おそらくこのアルバムは4曲続けて披露されると思うのですが、前2曲を引き継いで現れる斉藤朱夏さん小林愛香さんが織りなす、清涼感溢れる「転」のステージ。

次に来る「結」をイメージさせながら綴られる「永遠」の表現と、最後に投下される「好きっ!」の破壊力、そしてその後の「じもあい!」コール

そんなところに注目・傾聴しながら彼女たちのステージを見守ることが出来たら良いな、なんて考えています。

 

次回は…デュオトリオ最終回。この一言のために4曲がある!です。

 

 

*1:参考:新版「音楽の理論」 門馬直美-箸 音楽之友社