AQUARIUMと愛のうたをめぐる冒険

AQUARIUMと愛のうたをめぐる冒険

十六夜まよ(@daimarco16)がおんがくを考えるところです

デュオトリオ「結」:始まりと終わり。1フレーズへの長い長い伏線

皆様こんばんは。まよです。

Aqours2ndライブツアー、HAPPY PARTY TRAIN TOURの終着駅、埼玉公演が先日終わり、(私の住む北海道では)本格的な冬の到来を感じる今日この頃。如何お過ごしでしょうか。

デュオトリオシングル、終曲となる4曲目

夏の終わりの雨音が Sounded by 高海千歌×松浦果南

この曲の考察を夏に置いてきてしまったので、今更となりますが私なりの考えをまとめ、このミニアルバムの楽曲考察の締めとしようと思います。

注)歌詞についてはアンダーラインと斜体表示で引用とします。

 

・Twilight

この曲で真っ先に描写されている景色は「雨」ですが、この雨はどういったものでしょうか。

1番サビの歌詞に

海辺の空が 光って
とつぜん 雲が流れ
とあるように、この雨はにわか雨なのでしょう。
雷光を伴う突然の雨。日中に十分に熱を持ち、湿り気を帯びた空気が上昇気流の影響か、または日没近くの急激な温度低下によるものか一気に雲へと変化し、保持しきれなくなった水分は雨となって地上へと降り注ぎます。
楽しかった、暑かった日中の熱気を冷ますように、はたまたそんな熱に浮かされた気持ちを醒ますように……この季節の雨には、どうしてもそんな力を感じてしまいます。
雲が出れば当然日光は遮られ、世界は一気に灰色へ。
雲に隠されながらも遠い空の向こうに輝く太陽は、夏を主張しながらも少しずつその勢いを失い、そしてまた今日も水平線へと沈んでいきます。
そんな、闇が訪れる直前の、けれども薄明かりの残る黄昏時。

そんな時間の光景がトワイライトです。

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トワイライトタイガーちかなん

衣装イメージとして選択された「トワイライトタイガー」
夜明けと日暮れ、一日の始まりと終わりを司るその景色は、Aqoursの発起人となった千歌と、一度はAqoursを終わらせた過去を持つ果南そのものだと言えます。

みかん色エメラルドグリーンのモチーフを取り入れつつも、白と黒が効果的に使われたこの衣装はまさしく光と闇の混ざり合う、複雑な曲調を表現しているとも言えるでしょう。

 

・2人の役割と刹那の恋心

この曲の調性はニ短調だと思われますが、その特徴は「不安、悲歓、荘厳、崇高。シューマンによると、巨大な力を持つ調」と形容されています。*1
不安感の中にも宿る荘厳さや気高さというのは、夕方に降る雨の、その雨雲の間から差し込む一筋の光といった描写からも感じられますし、曲中の果南の持つパーソナリティそのものがそんな二面性をもっているような気もします。冒頭や曲中の台詞の語り口調からは決意や確信のようなものも感じ取れますが、同時に後悔や不安、苛立ちといった感情も読み取れます。
そして「巨大な力」。これは突如変わる天候もそうですし、夏そのものが終わってしまうことにも適用されますが、同時に誰か気持ちが移ろいゆくことを個人の力ではどうすることもできない、そんな無力感を表現する時に対となる大きな壁のようなものなのではないかと私は考えます。
 
そして2人の掛け合いの持つ意味とは。
この曲における千歌果南はそれぞれ「女役」と「男役」となっているように感じられます。
普段のキーが高めの歌声よりも、どっしりとした低音と少しだけぶっきらぼうな末尾処理をする諏訪ななかさんの果南の演技は男性的で、よりフェミニンに、あどけない中にも女性特有のかわいらしさを表現する伊波杏樹さんの千歌は、いつもよりも女性的に聞こえます。
衣装イメージでも、千歌は白成分が多く、果南は黒が基調(そして胸にはチーフ)となっており、スカートとパンツというスタイルの違い、身長差等も相まってより一層「男女の恋心」を想起させるものとなっているのではないかなと。詳細は語られませんが、夏の始まりとともに自覚したその恋心は、何かをキッカケに潰えてしまい、それは丁度夏の終わりと重なって……そんな切ない悲恋が読み取れる歌詞。果南パート
いつだってあなたは身近だった
わざわざ気持ちを確かめるってことも
必要じゃなくて
とあるように、2人は幼馴染だったのでしょうか。これは千歌果南にそのまま適用することもできますが、もっと普遍的な、どこかの誰かの物語としてこの詩は綴られているように感じます。
それはどこか非現実的な、逆光の中に見え隠れする2人の姿からなのか。
輪郭を暈した恋する2人の像は、誰とも言えない一般化された「男女」という形で情景を演じているように思えます。
そしてその中で何度も強調される「今年の楽しい夏」「夏の終わりとともに想いが消える」「同じ夏は二度と来ない」という、このアルバムを通して主張してきた「刹那的な夏」というテーマ。
 
まさに終曲の位置に鎮座するに相応しい、重たいながらもどこか崇高なメッセージを持った楽曲として仕上がっているのでは、と私は考えます。


・楽しかったね…夏。

思えば、この曲で感傷の重機が我々を轢き殺すための準備は、7月13日に公開されたこのCDの公式試聴動画から着々と進められていました。
各曲1コーラスを聴かせてくれる試聴動画、ぶつ切りではなくアウトロまで含めて編集された音源が提供されています。
この試聴動画を公開初日に早速私も聴いたわけですが、各曲の持つキャラクター性と役割、メッセージがぼんやりと感じられて、このブログでも度々論じている「刹那の夏」というテーマは試聴の段階である程度見えてきていたように感じます。
起承転結の構成でそれぞれが「夏」を唄い、そこには過ぎ去る一瞬の輝きを詰め込んで、ノスタルジーを溢れさせる……。
あぁ、良いアルバムになりそうだなと試聴動画の段階から好きになり、多大な期待をしておりました。 
そしてCDを手にした発売当日。フォロワーであるあきのさん(@fairlyta6)*2から「帯の段階で死にますよ」と事前にリプライをもらっていました。
なんぞやと思い店頭で手にした時の衝撃たるや……。f:id:daimarco16:20171008211612j:plain画像ちょっと見づらいですが、帯に刻まれた「楽しかったね…夏」の文字。
確かにこれは相当な破壊力。「楽しいね!」とか「楽しもうね!」ではなく、「楽しかったね」という過去完了形の言葉。
予め4曲がどういうものか知っていた私にとって、本当に衝撃的な一言でした。
やはり夏は終わるし、それを「楽しかったね」と想い出とする動きが間違いなく発生する。そう考えると、その時点で既に感情が落ち着かないものとなっていたのを記憶しています。そして店舗を後にし、車のオーディオでCDをかけ始めます。1曲目、夏への扉 Never end ver.。アツくて楽しい夏への導入。本当に楽しい。ライブでどんな演出になるかな……コールはどうなるだろうか……?
2曲目、真夏は誰のモノ?。私はこの2人が大好きなんです……。情熱と幻想。彼女たちが夢見て恋い焦がれる理想郷はいずこへ。
3曲目、地元愛♡満タン☆サマーライフ。ガラッと雰囲気を変えるトリックスター。2人の吹かせる涼風が、アルバム全体を程良く引き締める。
色々なことを考えながら、様々な夏を味わっていきました。
 
そして4曲目、夏の終わりの雨音が。ああ、切ない恋心と共に、夏が終わる。
約15分の心地よい時間が終わりに近づき、曲は最後の果南の台詞、
「この雨が止む頃には、私の涙も乾く、ってことにしておくよ。
さあ、上を向いて、明日のことを考えようか!」
と明日を見据え、少しだけポジティブに反転した気持ちで締め括られます。
背後で鳴り響くサイバーなシンセサイザーの音が途切れ、残ったピアノでの伴奏も徐々にテンポが落ち、あぁ、この曲も終わるな、というその刹那。
「楽しかったね…夏。」
 
伊波杏樹さんの、千歌の、明るい中に何か影を落としたような、淋しいような、嬉しいような複雑な感情が入り乱れる声色での、この一言
このアルバムは、この曲集は、この一言のためにあったのだな、と衝撃を受け、止まらない涙と動悸のために私は車を路肩に停めました(笑)
 
とにかく計算され尽くした1手。試聴動画で全体の雰囲気を知っていることも踏まえた上で、印象的なフレーズとして帯にそれを載せておきながら、最後の最後で、千歌の声でこれを放ってくるその威力には、計り知れないものがありました。
声に乗せる感情の力を持つものとして、声優としては勿論のこと、舞台女優としても活躍する伊波杏樹さん
芝居がかった言い回しや歌のフレーズを与えた時に彼女が水を得た魚のように活き活きとキャラを演じるところは我々も多くの場面で目にしてきました。それが再び遺憾なく発揮された一言。しかも、表情や仕草の見えない音声だけの音源なのに、それが感じ取れたのです。本当に、ただただ衝撃でした。誰の目から見ても明らかな、この曲の最大の聴きどころ。
果南の語りを目立たせておいてトドメに千歌の台詞を持ってくる巧妙さは、「予想は裏切るが期待は裏切らない」というラブライブ!サンシャイン!!の手法そのままであるなあと舌を巻きました。
 

以上、この曲のラストフレーズにどれだけ轢き殺されたか、というレポート的なものでした。皆さんが初聞で受けたショックは、どのようなものでしたか??

・9月の雨も過ぎ去りて

これまで4回に分けて魅力をお伝えしてきたデュオトリオコレクションCDシリーズ、一応今回にて終わりとなります。
気づけば夏は終わり、September Rainも感じない季節となり……それでもAqoursは走り続けます。
今年は一度切り。夏は儚く過ぎ去り、二度とないものではありますが、やっぱり来年も夏はやってきます。
きっと我々は、夏がくる度にこのアルバムに唄われるような刹那の夏を過ごし、それが過ぎ去ることを惜しみながら終えて、また次の夏を待つのでしょう。
そんな夏のお供に、空と海と太陽を象徴するAqoursの唄が来年もある。今年の夏を楽しく過ごした我々にとって、それはとっても幸せなことなのではないでしょうか。
 
 
最後に、最初の記事での問いかけをもう一度。
 
 
夏は、お好きですか?
 
次回は…デュオトリオ、もう少しだけ続きます。

*1:参考:新版「音楽の理論」 門馬直美-箸 音楽之友社

*2:彼のエモが爆発するライブ感想記事は臨場感に溢れていて必見です!!!http://akino-oniku.hatenablog.com/

未来の僕達はきっと答えを持っているはずだから

皆様こんばんは。十六夜まよです。

デュオトリオ4曲目、「夏の終わりの雨音が」の考察は鋭意執筆中なのですが、どうしても触れなければならない曲が出てきてしまったので急遽別の記事を挟みます……!

 

本日、晴れてラブライブ!サンシャイン!!TVアニメ2期がスタートしました。

新たな問題に立ち向かう千歌達Aqoursの新たなストーリー。変に希望を持ちすぎず、逆にシリアスな中にポジティブさと無謀さを持って、これぞラブライブ!というストーリーが展開していきそうで、今後への期待が止まりません。

 

そして、物語を彩るテーマソングも解禁となりました。

デュオトリオCDの発売から2ヶ月ぶりとなるAqoursの新曲。私はこの日を心待ちにしていました。

 

ということで、アニメ2期と共に公開された新OPテーマ

未来の僕らは知ってるよ Sounded by Aqours

この曲をTVサイズから読み取れる範囲でではありますが分析・考察していこうと思います。

 

注)歌詞は下線と斜体で引用とします。が、耳コピのため本来のものとは異なる場合がありますのでご了承下さい。

 

・手に入れよう、未来を

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本気をぶつけ合って 手に入れよう 未来を

千歌のそんな力強いソロから始まるこの曲。もうその段階から泣きました。

「未来」という言葉は間違いなくこの曲のキーワードの一つになると思いますが、「未来の僕らは知ってるよ」というタイトルにもあるようにその未来はこれから切り開き、彼女らが手にするモノとして予定されている一つの確定事項でもあります。

それを手に入れようと歌う冒頭のソロは、まさにこれからのAqoursの征く道を示す、一筋の羅針盤となるのではないでしょうか。

そして、そこからイントロへと曲は移ってゆきます。

 

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このジャンプから手を上へ伸ばす振り付け!

ご存知、青空Jumping Heart」のイントロと同じものです。

そして背後から伸びる9色の光。もうOPとして100点満点です。

 

ギターの伸びやかなサウンドからビートを刻むドラム音、そしてピアノのグリッサンド。完璧な疾走感を作り出す最高の組み合わせです。

ちなみにこの曲の調性は変イ長調

「夢想的で繊細、抒情的で壮麗。生き生きとして新鮮」と形容される調です。*1

無謀な夢を掴むため新たな船出をしたAqoursの、その夢想的な行動力とスクールアイドルゆえの儚さ、それでも溢れ出る生き生きとしたエネルギーを内包する曲として、イメージにはピッタリだと思います。

 

・空と海が待ってる

Aメロ、2年生3人による歌唱からスタートします。

味方なんだ空もこの海も 「さあ頑張るんだ」と輝いてるよ

という歌詞が、内浦の海と共に生きる彼女たちのオリジンをよく表していて、浜辺を走る3人の描写と合わせて非常に爽やかなものとなっていますね。

「空」「海」をそれぞれ示すように上へ、そして足元へ手を伸ばすダイナミックな振り付けも表現が素直でとても素敵です。

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個人的にはここでかわいいお洋服を着ているしいたけが描かれているのもポイントが高いですね。

そして「さあ頑張るんだと」に合わせて繰り出される全員の「がんばルビィ」

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ダイヤお姉ちゃんが眩しいです。

 

・学年ごとの特色

Bメロに入り、3年生パート

(希望で一杯の)今日が明日を引き寄せるんだと

の部分では一瞬シリアスに睨み合った果南鞠莉がぷっ、と吹き出す、無印1期OPのほのえりを彷彿とさせる表情で一瞬のシリアスをぶち壊し、

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3人で方を組んでにこやかに手を振った直後、花丸のハートのカットインから

ハートの磁石を握って走る(uh 今は)楽しいんだそれが

という1年生パートへ!

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やっぱりAqoursの1年生組はこうでなくちゃ!という素敵な賑やかし役を今回も担当してくれています。黒板に描かれた「はーーーと!!」の字も可愛いですね。和みます。

学年ごとに持つキャラクター性を活かした見事な役割分担で、今後のストーリー展開でも活躍してくれそうなポジションが見えてくるような気がします。

その直後、左右からの視点を分割して同時に流し、中央で合流、という新しい表現も繰り出され、サビ前の盛り上がりは最高潮となります。

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Aqoursの新しい「船出」

サビでは「青空Jumping heart」の時にも見られたカメラがダイナミックにAqoursの背後に回り込む手法でステージをぐるっと俯瞰する視点で映されますが、その瞬間、ステージから見える客席が海であるかのような描写となります。

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この景色、どう見えましたか?

私には9人が船の舳先に立って大海原を見渡している、そんな光景に見えました。

未来をどうしようかな みんな夢のカタチを探して 泣いたり笑ったり

そんな歌詞と共に映るこの景色は、この曲を、そしてアニメ2期を象徴するような場面ではないかと私は考えています。

1期13話で歌われた「MIRAI TICKET」で、「やっと手にしたMIRAI TICKET」によって船へと乗り込んだAqours。その船は「ミライへ旅立つ」船でした。

そんな未来の、夢のカタチを探している途中のAqoursが乗る船からは、きっとこんな広大な海原が見えているはずです。

そしてサビも終盤、

未来の僕たちは きっと答えを持ってるはずだから 本気で駆け抜けて

の歌詞とともに映るのは満開の桜と浦の星女学院

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この時の千歌は、何を思うのでしょうか。

満開の桜は春の訪れを表していますが、1話の中で言われていた「次回のラブライブ」が翌年春ということでした。

そして、来年度からの生徒の募集は……?

Aqoursに取って新たな可能性となる「ラブライブ次回大会」そして、新たな問題として発生した「避けられそうもない廃校」。

そのどちらも「次の桜が咲く季節に」、決断や結果が見えてくるはずです。

 

そこへ向かって「本気で駆け抜ける」ことが「答えを持っている未来の僕達」へと繋がる航路だと信じて、がむしゃらに船を進める。それが彼女たちが今できる唯一のことなのかもしれません。

 

f:id:daimarco16:20171008014921j:plain最後は

光る風になろう We got DREAM!

と締められています。

MIRAI TICKET」ではヒカリになり、そして次は船を進める風となる。とにかく前へ、未来を信じてひたすらまっすぐに。

紙飛行機も描写されていますね。これもまた"風"によって先へ先へと進む象徴。

この後の物語にどういった形で関わってくるのか、注目ですね。

そんな彼女たちの想いと覚悟と、それでも"キセキを"諦めない若いエネルギーが込められた、最高で最強のオープニングテーマであると思います。

 

 

・衣装について

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この曲の衣装は、MIRAI TICKET」の正統進化版であるのかなと思います。

白を基調としたジャケット風の、少しフォーマルな装いで、しかし今回はAqoursを象徴する「青」がふんだんに取り入れられています。そして各個人ごとにテーマカラーやアイコンをワンポイントとするデザイン。

Aqoursを象徴し、今後のAqoursの一張羅となるのではないかと思われるこの衣装、3次元での再現が楽しみですね。お目にかかる機会もきっと多いはずです。

個人的には梨子の桜ニーハイが非常に良いと思いました。

 

 

以上、簡単ではありますが曲の考察でした。

1話が思った以上にシリアス寄りであったために曲のテーマに関しても重め?に考察をしてしまいましたが、この「未来の僕らは知ってるよ」はそれすらも吹き飛ばせるくらい爽やかで、疾走感溢れる理想的なテーマソングだなと感じました。

 

フルバージョンを聴いた後にどういった感想を抱くかはまだわかりませんが、現在の音源と映像から読み取れる情景を、急ぎではありますが文章にしてみました。

来週以降何度も観ることになるこのOP映像、「こんな解釈や受け取り方もあるのだなあ」という一つの視点が次に見る時に何か気づきを与えてくれる手助けになれば幸いです。

 

きっと他にも多くの視点や注目ポイントが、それぞれのファンの中で無数に存在すると思います。

それを大切に、時にその"スキ"を交換したりぶつけ合ったりしながらこれから3ヶ月、毎週紡がれるAqoursの新しい物語を一緒に追いかけていけたら良いなと思っています。

 

"""やるからには、キセキを!!!"""

*1:参考:新版「音楽の理論」 門馬直美-箸 音楽之友社

デュオトリオ「転」:悠久の故郷・"刹那の夏"へのアンチテーゼ?

皆様おはようございます。まよです。

 

 

AqoursデュオトリオコレクションCDVol.1の魅力を考えるこの記事も半分を過ぎ、折り返しての3曲目となりました。今回は

地元愛♡満タン☆サマーライフ Sounded by 渡辺曜×津島善子

について想いを巡らせていこうと思います。

注)歌詞についてはアンダーラインと斜体表示で引用とします。

 

 

・「転」の要素

このアルバムが曲順で起承転結の構成となっていることはこれまでで何度も触れてきましたが、ではこの曲はどういった点で「転」と成り得るのでしょうか。

(これはねー、"点"と"転"をどっちも"てん"って読むのにかけた……)

調性を見ると、イントロからサビ前まではニ長調、サビからはホ長調となりますが、これらはそれぞれ前者が歓喜」「活発」、後者が「輝かしく温和で喜ばしい」と表現されています。*1

1曲目に突き抜けた明るさを、2曲目では燃え上がる情熱を表現してボルテージを高めてきた流れで、ポジティブな雰囲気を表現しつつも一旦テンションを落ち着かせる役割を持っているのがこの曲の立場なのかなという印象を受けました。

サビからの歌詞にも

おやすみ気分で

のんびりするのもいいでしょ?
と、「ここで一旦休んでいこう」というニュアンスの言葉が多く採用されています。
特に、2曲目「真夏は誰のモノ?」で熱を持った気持ちをクールダウンさせるという意味では、彼女たちの衣装が持つユニコーンリザードのイメージにもピッタリと寄り添うものなのではないでしょうか?

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ユニコーンリザードじもあい
青と白を基調とした衣装テーマは、ちょうど善子それぞれのイメージカラーとも一致し、この2人ならではの雰囲気を存分に発揮していると思います。
夏なのにブリザード?という意見も当然見受けられますが、冷気や氷といったものは夏だからこそ価値があるものでもありますし、一服の清涼剤として投下されるのであれば、逆に相応しいものになるのではないかと私は考えます。
ちなみに「青・白」という色のイメージはこの曲そのものにも備わっており、1曲目では強烈な日光・太陽の黄色や山吹色というイメージが、2曲目には炎と夜の紅と黒のイメージが感じられる、と書きましたが、この曲では海や波といった青、そして柔らかい日差しの白(透明に近い)といった感覚をサウンドの中から感じることができました。
判り易いところでは、イントロにある波の打ち寄せる音、そしてカモメの鳴き声なんかがモロにそういったイメージとつながりやすいのではないかなと思います。
 
 

・多くの対比表現

この曲には様々な対比表現が含まれているように感じます。前述した曲の雰囲気をヒートアップからクールダウンへ持っていく動きが1つ目。

2つ目は視点の大きな変更で、歌詞の冒頭、

遠く続いてる 海の先には
どんな夏があるのだろう?

という部分、これが表現しているのは直前の黒澤姉妹による「異国の夏」なのだと私は想像しています。(詳しくは前回記事を参照して下さい)

一度視点を遠くの海の先、幻想の世界の情熱の国へ向け、そこから

いつか確かめたい キモチもあるけれど

イチバンはこの場所って気がしてる

と、それでも「この場所」が良いと一気に場面を引き戻しています。

あんな夏の形もある、という考えの後に、でも私達のイチバンはここなんだ、という表現で、その気持ちを強調しているのだというように感じられるのです。

そして3つ目は、「永遠」が表現される歌詞が多いことです。

最初の記事で「夏の刹那性」がこのアルバム全体のテーマとなっていると述べましたが、この曲の中ではそこに敢えて反対のテーマをぶつけることで、一度ニュアンスを打ち消し、そして来るべき終曲へ向けてテンションを引き締め直している、そんなイメージが感じられました。

例えばAメロ、

ぱーっと派手じゃない? でもこの海は
ずっと私たちのコトをいつも見ててくれた 
喜びも 涙も 知ってるの 
昔からの浜辺

からは、「ずっと見ててくれた」「昔からの浜辺」というように、過去から現在に至るまでこの風景が存在し続けていることを描写しています。

サビの 寄せて返す波の声 というのも、地球が水の星となってから数億年繰り返されてきた波のささやきを永遠に続いているものとして取り入れているように思えます。

極めつけは2番のサビで 今度の夏も ここで過ごそうよ と歌っているところ。

何度も繰り返してきた「今年の夏は一度きり」というテーマに対して、「今度」があることを示唆しています。

これには別の理由も伴い、後述しますが、やはりどれもが「刹那の輝き」「期間限定である美しさ」等のテーマとは相反するもので、この曲そのものがアルバムテーマへのアンチテーゼとして働いているのかな、と考えています。

まとめると、曲調や視点の表現、そして「永遠」を持ち出すことでこれまでの雰囲気やメッセージを一旦打ち消し、スッキリとさせる清涼剤。それがこの曲の役割なのではないかというのが私の考えです。

これには爽やかでサッパリとしたイメージを持つ曜と、矛盾した2つの存在を両立させ印象を強烈にさせる善子のそれぞれのパーソナリティが色濃く反映されているのではないのかな、とも考えています。

 

 

・この2人である理由

「地元」という言葉を、皆さんは普段使いますか?

大抵の場合、一旦故郷を離れ、別の土地から見返した時に故郷のことを指して「地元」と表現することが多いと思います。

そもそも故郷というのは(都市開発や災害等で失われる場合を除いて)各個人にとって永遠のものであり、その人が帰るべき場所として死ぬまで心に在り続ける一つのアイデンティティであると考えます。

1曲目夏への扉で少し触れたように、来年の夏にはAqoursに今の3年生はいない、はずです。

その時に彼女たちはどこにいるのか。内浦に残るのか、進学や就職で他の地域へ旅立つのか。そこは計り知れない部分ですが、仮に内浦を離れるか、少なくとも浦女からは離れた生活を送ると考えた時、彼女たちが想う「地元」は勿論内浦・沼津であり、母校、そしてAqours(の後輩たち)であると思います。

今回のデュオトリオで分かれた各ユニットのうち、この2人の組み合わせにのみ、3年生メンバーが含まれていません

だからこそ、この曲では「今度の夏もここで過ごそうよ」と歌うことができ、その言葉の先には故郷を離れた現3年生がいるのかな、と私は考えます。

そんな、故郷を離れる者に取っての帰るべき場所、悠久に残り続ける「地元」としてその土地への愛を唄う彼女たちのこの曲は、一度限りの夏を打ち消し、来年以降も続く新たな関係性の形を想い描くものなのかもしれません。

そして自分たちが誰かに取っての「地元」そのものになろうというその心構えこそが本当の「地元愛」なのではないでしょうか?

 

そこに住む人々の地元への愛も"じもあい"

そして、今は遠くに居る人を地元から想う愛もまた"じもあい"なのかな、と。

 

 

・破壊力を持った「好き」!

最後に、私が個人的にこの曲の構成の中で1番面白いなぁと思う表現を語って締めとしようかなと思います。

サビの最後、

砂をサクサク 踏みながらおしゃべりしようよ
ほらっ 地元自慢のサマーライフ!

では、音の区切りが「ほらっ」の部分で独立し、次の「地元自慢の~」へ受け渡される形になっています。

ところがラスサビでは

空がキラキラ
目を閉じてもまぶしい渚が好き
地元愛♡満タン☆サマーライフ

というように、文章の区切りとしては「渚が好き」という文となるところを、同じメロディに当てはめるために「好き」だけが非常に強調された形で飛び出してきます。

アイドルとして歌う2人の美少女が曲のラストで放つ「好きっ」という跳ねた音声に、どれだけ破壊力が込められることか。

そしてこれまで「地元自慢」としか言っていなかった部分をタイトルである「地元愛♡満タン☆サマーライフ」と変化させて歌詞を締めるこの構成は、多分計算され尽くしており、流石畑亜貴先生だな……と舌を巻く限りなのです。

もう3日後に迫った埼玉公演。おそらくこのアルバムは4曲続けて披露されると思うのですが、前2曲を引き継いで現れる斉藤朱夏さん小林愛香さんが織りなす、清涼感溢れる「転」のステージ。

次に来る「結」をイメージさせながら綴られる「永遠」の表現と、最後に投下される「好きっ!」の破壊力、そしてその後の「じもあい!」コール

そんなところに注目・傾聴しながら彼女たちのステージを見守ることが出来たら良いな、なんて考えています。

 

次回は…デュオトリオ最終回。この一言のために4曲がある!です。

 

 

*1:参考:新版「音楽の理論」 門馬直美-箸 音楽之友社

デュオトリオ「承」:姉妹が夢見た情熱と幻想

皆様こんにちは。まよです!

 

デュオトリオCDの魅力に迫る「SUMMER VACATIONをめぐる冒険」、2曲目は

真夏は誰のモノ? Sounded by 黒澤ダイヤ×黒澤ルビィ

を読み解いていこうと思います。

前回に引き続き、歌詞やメロディから感じられる曲の背景やイメージなんかをメインに、黒澤姉妹が提示する「真夏」とは、そしてそれが一体「誰のモノ」なのか?

そんなあたりを考えていけたら、と。

注)引き続き歌詞の引用はアンダーラインで行います。斜体にもしてみようと思います。

 

・情熱と幻想

まずはざっとこの曲を聴いた時のファーストインプレッションですが、皆さんはどんなイメージを受け取りましたか?

私は夕暮れから薄明くらいのオレンジと紫が混ざる空、そこからもう少し時間が経過した夜の闇と、辺りを照らす炎、そして真紅のドレスに身を包み舞う2人……そんな、黒と紅が入り交じる熱帯夜をイメージしました。

きっと日本とは遠く離れた、どこか南国の地で。

エキゾチックで妖艶な魅力を持った少女が踊り、情熱的な恋の炎に身と心を焦がしているような。

そういった幻想的で異国情緒溢れる世界観をメロディラインとテキストから感じました。

起承転結の「承」に位置づけられるこの曲は、1曲目「夏への扉 Never end ver.」が切り込み、盛り上げたムードを一気に暖め、燃え上がらせる情熱を宿していると言えるでしょう。

 

曲の持つ調性(キー)は変ホ短調であり、陰暗なイメージのある調ですが同時に"神秘的な恐怖に満ちた調"であるとも表現されています。*1

"神秘的"という表現には幅広い受け取り方がありますが、非日常や非現実といった未知の世界、そして夜の持つ独特の雰囲気……そんなものに対する感情として、少しの恐怖と一緒に感じられるものと考えると曲のイメージにピッタリなのではないかなと思います。

 

そして「異国感≒非現実感」というのはこの曲を考えるにあたってひとつの大きなキーワードになるもので、それはこの曲を唄っている黒澤ダイヤルビィ姉妹が持つキャラクターとしての本質と大きく関わってくると考えています。

 

 

・黒澤姉妹に取っての現実/非現実

「黒澤姉妹がデュオ曲を唄うのなら、和風な曲調になるのかな?」

曲の発表前、そんな期待を持っていた方も多いのではないでしょうか。

私もその一人で、漁村の有力な網元・古風な家で生まれ育った黒澤姉妹にはそのイメージに相応しい「和」の曲が似合うのではないかな、そうであれば良いなと想像していました。

ところがどっこい、まず決定した衣装イメージがインフェルノフェニックス。キャッチコピーは「不死鳥の炎で音楽シーンに破壊と創造を!」

そして発表されたイラストがこちら。*2

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インフェルノフェニックス黒澤

お姉ちゃん、破廉恥だよぉ。。。

そしてどうなるかと考えられていた曲そのものですが、皆様知っての通り情熱的に愛を唄うラテン系の仕上がりとなりました。

ネット上の感想等を見るに、これを受けて「何故この姉妹にこの曲を?」という疑問を持った人も少なくはなかったのかなと思うのですが、そこは敢えてそうした意図が制作側にあったのではないか、そしてこの曲の本質に迫るにはこの姉妹だからこそできるアプローチがあるのではないか。

そんな考えのもとに私はこの記事を書き始めました。

 

ここでひとつ、フォロワーさんの記事の引用をば。

(ダイヤが)自分のことを「生贄」だなんて言ってしまう人生って、それこそ"本当のわたしは地球じゃないところで生まれたかも"と現実逃避に至るのではないでしょうか。

本音か建前か、向いてないという理由から妹には生贄の役目を押し付けようとせず、代々続く家系という"迷路"のなかにひとりで居る箱入り娘。

こうした捉え方から、さらに

「GALAXY HidE and SeeKは黒澤ダイヤを救う歌なのではないか」

ameblo.jp

と意見を展開する、瀬口ねるさん(@_Segnel_)のこの記事における黒澤ダイヤにまつわる解釈、彼女を取り巻く環境や出生背景等は共感できることが多く、また私自身の「黒澤家」への考え方も非常に似たところにあります。

現代においても尚、片田舎の、そこそこ有力で古風な考え方の残る家の長子としての宿命のようなものは、彼女ほどではないにしてもしがらみに囚われている人は多いのかなと思いますし、私自身少しだけこういった経験はしているのでなんとなくの共感もあります。

そして、その命運を背負うのは、姉によりある程度軽減はされているものの妹であるルビィにとっても同じことなのではと私は考えています。

血を分けた姉妹、長女次女の差はあれど同じ家で育ち、自分たちがその家の娘であることで求められる責任や役割等、考えてくる機会は多かったはずです。姉が何らかの理由で家督を継げない時、その期待は妹にも間違いなく降り掛かります。

いずれ確実に訪れる、"少女"として生きる時間の終わり。もしかして彼女たちは、恋愛を知らぬまま伴侶を見つけ、家を継ぎ、子を産んで、家のために人生を全うする……決して不幸ではないでしょうが、少しだけ不自由な、そんな生涯を過ごす可能性も無いとは言えません。

夏のように熱い恋愛という感情は、こと彼女たちにとっては許された期間が短く、儚いものとして認識されているのかなと想像しています。

 

そんな現実に晒される彼女たち姉妹が唄う愛のうた。

現実にはならない、自分たちの幻想にだけ存在する儚い夢。

"今年の夏"のようにもう二度とはやってこない……熱く、身を焦がす想い。

 

そこまでの悲壮感と重みを持たせるつもりは無いですが、無意識にでも彼女たちの恋愛観は、憧れのずっと先に、きっと現実離れした……生まれとは違う国の、違う世界のものとして幻想的に、情熱的に描写されるのではないかと想像しています。

 

余談ですが、「G線上のシンデレラ」において「したいこと言ってみて」と言われたダイヤ

「なんでもって……オーケストラで踊るダンスパーティーとか?ふふ、まさかね?」

という願望を口にしています。

自分では叶えることのできない願望の中に「和」とはかけ離れた世界観を提示してくるあたり、やはりそういったものを「非現実」と認識し憧れを抱いているのかなとも考えられます。

 

ここまでで、この曲を敢えて黒澤姉妹が唄うその意味について考察してみました。

そしてこのイメージの払拭は「破壊と創造をもたらす」というインフェルノフェニックスの世界観そのものなのではとも。

ついでに曲中の「真夏」というのは「恋心」「愛そのもの」なんて解釈をしている理由を説明できたかなと思います。

 

 

・本能と理性、その葛藤

前置きが大変長くなってしまいましたが、曲の分析に入ります。

まずはこの曲がアルバム中で1番「デュオ曲」として完成されているものであると明言します。

各フレーズを交代で唄うだけではなく、一方の歌唱中にコーラスとして対等な別パートの旋律が存在し、その掛け合いで歌詞を表現していく。

この動き方は実は他3曲にはほぼ存在していないものです。

また、これは捉え方になりますが、台詞パートがこの曲には存在しなく、100%歌唱のみで曲の持つ世界観やメッセージを伝えているという面で、曲としてガチで勝負しにきている、と考えることもできるでしょう。(決して台詞パートがあることで他の曲が劣っていると考える訳ではありません。)

 

次は歌詞を見ていきましょう。 

前述のようにこの曲が彼女たちの憧れる"幻想の中の恋心"を唄ったものと考えた時に、それでも存在する葛藤が見え隠れします。

もっと知りたいの
もっと知りたいの
いけない 夢だと
気づきながら

このフレーズから読み取れるのは、理性と本能の狭間で気持ちが激しく揺れ動いているということです。

そして面白いことに、姉妹のパート分けがその両面の心を示しています。

例えば冒頭から

(ダイヤ)目をそらしたい 
(ルビィ)でもそらせない

という部分や、Aメロでは

(ルビィ)ときめき以上のリズム
今宵 知りたくて
いつもより大胆な言葉を
つぶやいた

(ダイヤ)自分の気持ちなのに
全然分からなく (ルビィ)なっちゃいたいな
理性から指令が (ルビィ)届かない
コントロール不可能

等、

ダイヤのパートは制御できない気持ちに戸惑い、律しようとする理性

ルビィのパートは感情に身を任せ、情熱を燃やしたい本能

それぞれ担当しているように思えます。

これはやはり、長女・次女としてこの気持ちに向き合った時、冷静に対応しコントロールしたいと思う姉と、少しばかりの自由を手にしているため奔放に解放してしまいたい妹とのそれぞれの気持ちが現れたパート分けとなっており、黒澤姉妹というキャラクターならではの演出であると感じます。

この2面性は、調性イメージの「神秘と恐怖」とも関連づけることができるのではないでしょうか。

 

 

・情熱をぶちかませ!

さて、ここまで小難しいことをつらつらと述べてきましたが、曲そのもののメッセージ性は割とシンプルで、

「(少しだけ自由のない環境で育った)少女たちの考える本気の恋愛・情熱」

に尽きると思います。

Ah 情熱的に抱きしめて!

と締め括られるこの曲はとにかく"情熱"というものをテーマにしており、それを彼女たちがどう表現しているか、となるわけですが……

その想いに応えるならば、こちらもあらん限りの情熱と愛情をもって誘いに乗っかる、というのが最大限の答えなのかなと思います。

幸い、用意された舞台はフラメンコ風のダンス。

感情の一番盛り上がるタイミングは……ハレオ(Jaleo)と呼ばれる2番サビ手前のの掛け声です。

台詞パートが存在しない、とは言いましたが、解釈としてはここがもしかすると台詞なのかもしれません。楽譜上音程は存在せず、合いの手として歌われる声部がこの掛け声だ、と考えると他に無い感情のぶつけどころをここ一箇所に集中して爆発させるのがこの曲のカタルシスを味わう上で1番大切になるポイントなのかなと考えています。

フラメンコに用いられる手拍子はパルマ(Palma)と呼ばれ、その中でも高音で響くものをセコ(seco)と呼ぶそうです。

ライブで演奏される場合、ここは是非とも全力で、できればセコも交えてハレオを炸裂させたいですね!

 

 

・結局、真夏は誰のモノ?

と、いうわけで"黒澤姉妹が唄う"この曲がより魅力的に感じられそうな解釈・感想をまとめて来ましたが、如何だったでしょうか。

家庭事情に関し、少し暗め(?)の解釈が入ってしまいましたがそれもまたキャラクターが持つひとつの属性として、私は好意的に捉えています。

ちょっとだけ特殊な家庭事情に生まれ、少しだけ不自由な生活の中で、それでも自分たちなりの青春のカタチを模索し、謳歌する姿はとても愛おしく思いますし、だからこそ私はこの姉妹に惹かれ、2人一緒に推しています。

そんな2人の記念すべきデュオ曲だからこそ、ここまで多くのことを考え文章にしてきました。

 

楽曲として非常にハイレベルにまとまったこの「真夏は誰のモノ?」を、"身を焦がす情熱"や、"少女たちの憧れる非現実・幻想"といったワードを通して聴いた時には、改めてその意味や意義、そしてアルバムの大テーマである「夏の有限性・儚い輝きの魅力」なんかを感じられるのかな、と、この記事を読んだ皆様にとってもそうであったらいいなと願っています。

 

最後に。

 

 

という曲名であり主題であるこのフレーズは、非常に悩みましたが最終的に結論は出ていないのかな、と私は解釈します。

恋心(=真夏)を唄うこの詩で、結局誰のモノでもなく、ただ彼女たちの胸に眠る憧れであるように。

未だ存在しないその「愛のうた」は、謎に満ちた遠くのパッションとして……今は誰のモノにもならないのかな、なんて考えています。

 

 

といったところで、今回はここまで。

次回は…暑いだけが夏じゃない!そんなところも私達の地元愛!です。

 

 

 

 

以下オマケ

 

 

 

 

 

 

 

 

・ブレスは誰のモノ?

感情の昂りと言えば、私の考えるもうひとつのこの曲最大の聴きどころとして、ラスサビの

初めて胸のトビラが開いてしまいそうよ
You knock knock my heart!!

……の伸ばし切った最後、苦しげに混じる甲高いブレス音を挙げておきたいです。

 

そもそもブレス音とは、歌唱する上で必要な空気を取り入れるために呼気を吸う、要するに呼吸音となるわけですが……

普段、普通に生活している中で相手の呼吸音が聞こえるという場面はまず無いです。

息遣いを聴けるような距離に近づくことができる関係性は限られてきますし、本来ならばそれこそ本当に親密な間柄でだけ聴こえてくる生命の音、原初の胎動、それがブレス音です。

 

私はブレス音が大好きです。

遠く手の届かない、触れることなんて叶わない高嶺の花である声優さんたちの、生物としての根源的な生体音声。それをゼロの距離で耳にすることができるのです。こんなに幸せなことはないでしょう。

 

 

……さて本題です。この悲鳴にも似たブレス、一体小宮さん降幡さんのどちらのモノなのでしょう?やはり甲高い音となると妹のルビィちゃんでしょうか。

普段からルビィ役としてピギィと高い声を出す傾向にある降幡さん、実は歌声はだいぶ落ち着いておりそのコントロールは的確です。狙って出すからこそああいう高い音が出せる、そういう声帯の操り方をしていると思います。

一方、品行方正で落ち着いた印象のダイヤを演じる小宮さん、意外に熱が入ると感情のままに声を発することも多いようです。

2番Aメロの

ためらいがちのステップが
熱く変わる頃
いつもならあり得ない 衝動に戸惑うの

このパートはダイヤのソロですが、ここを唄う小宮さんのブレスは各所で高くしゃくり上げがちになっています。

気持ちが入ってブレス量が追い詰められてくると、その確保のために急激な呼吸でブレスを取る傾向にあるのは小宮さんの方のようです。

 

ので、ここの音はダイヤお姉ちゃんの炸裂したパッションなのかな、と。私はそう結論づけました。

情熱的に舞い、唄うその中から溢れてくる生命のサウンド。この一瞬から感じられる彼女の熱量を全神経をもって受け取りたいな、と。

そう考えながらフレーズをリピートし、耳をknock knockされる、そんな音楽鑑賞もたまには如何でしょうか??

*1:参考:新版「音楽の理論」 門馬直美-箸 音楽之友社

*2:是非全身像をしっかり見たいですね!

デュオトリオ「起」:夏への扉を開きましょう

 

皆様こんばんは、まよです。

 

デュオトリオCDの魅力に迫る「サマバケをめぐる冒険」、まずは1曲目の

夏への扉 Never end ver. Sounded by 国木田花丸×桜内梨子×小原鞠莉

この曲への想い、感想、その他メロディや歌詞からの情報分析をしていこうかなと思います。

注)歌詞の引用部分はアンダーラインで表現していこうと思います。

本当は斜体にしたかったけどなんかうまくいかない…

 

・明るさの中に潜む焦燥感

はいSplash!!ということで、この曲の冒頭は3人の「Splash」「Spark」「Shining

そして「Summer!」という掛け合いから始まります。

夏のビーチ、燦々と輝く太陽の日差しを一身に受け、舞う水飛沫と明るい声(そしてはちきれんばかりの水着のまるまりこ)……夏ですね。

この曲から受ける最初の印象は、夏の持つ本質的な「明るさ」「光と水」「熱」etc.……そういったポジティブで正統派な夏のエネルギーが爆発している、というものかと思います。

 

余談ですが、音声として考えたときに子音の「s」は鋭く飛びやすく、空気を裂いて伝えられる音なので、曲の冒頭のそれぞれの単語の頭文字が全てsで始まるのにはやはりこの曲がアルバムにおける"トップバッター"で、まずは空気を一気に貫いて形作る"一番槍"のポジションにあるのだと考えられます。

ライブ時のコールでも、皆で言葉を揃えて盛大にSplash!!を決めていきたいですね。

……ただし、いきなり来たときに言うのは難しいので心構えは必要な気がします。

 

脱線しましたが、とにかくこの曲の持つ特性がポジティブな特攻隊長、といったものかと思ってもらえれば良いかと思います。

衣装イメージに決まったハリケーンブロッサムの名前も、吹き抜ける一陣の風、という意味では曲とリンクするかもしれません。

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ハリケーンブロッサムまるまりこ

この性質はこの曲のメンバー中だと鞠莉に1番強く関連づけられているものであり、本来であれば梨子花丸にはあまり備わっていない性質なので、鞠莉の強烈で能動的なエネルギーに誘導されて梨子と花丸の2人も夏へ向かって徐々に開放されていく……そんな過程が想像できて微笑ましいと同時に、これこそが夏への扉」を開いていくことなのかな、なんて考えています。

 

さて、ですがこの曲はそれだけで終わるものではありません。

1番、2番と共通でBメロの終わりにある 今年は一度きりさ という歌詞。

そして2番のサビから入ってくる、

いつか思い出になると
ちょびっとね 分かっちゃった
それさえ夏らしさと 知ってるよ!

さらにCメロ部分の

この季節
いつか思い出になるの?
終わらない夏への扉
夢みてると 知ってるかい?

この部分から読み取れる感情は

「この夏がすぐに終わってしまうこと」

「二度とないものとして来年には思い出となってしまっていること」

そして彼女たちは「それを自覚している」というところでしょうか。

その上でNever end ver.のタイトルが示す通り、終わらないものであることを願っている、という切ない構図が胸をぐっと掴みます。

その終わってしまうことへの焦り、いつまでも続いて欲しいという願いを明るさで塗りつぶし無理矢理ハイテンションで爆発させる。……こんなところも、もしかすると鞠莉らしいところなのかもしれません。

 

・夏とAqoursの結びつき

夏の持つ莫大なエネルギーと本質的な儚さ、期間限定の輝かしい思い出……こういった情報はさらに拡大すると「Aqoursというスクールアイドル」にも適用できるように思えてきます。

そもそも「ラブライブ!サンシャイン!!」の象徴としての太陽、沼津内浦といった地域を象徴する海、グループ名の基となったAQUA(=水)。これらはAqoursのもつ属性記号であり、それが映えるのはやはり夏であると私は考えています。

(ライバル関係にあるSaint Snowが「雪=冬」の記号を持っているのもその現れかな?とか)

特にAqoursはμ'sと同じように「メンバーに3年生を含む」グループであり、現実問題として「来年の夏にダイヤ鞠莉果南の3人はいない」ことは確定しています。

この9人で活動できるのは今年度一杯であり、この9人で過ごす夏は二度と来ない。

こういった「限られた時間の中で精一杯輝くこと」はμ's時代に穂乃果が気づいた「スクールアイドルの輝き」そのものであり、同じスクールアイドルであるAqoursもこの問題を避けることはできません。

そういったことを踏まえ「夏」と「Aqours」を並べ立てたときに、その儚い性質は何倍にも膨れ上がっていきます。

他のどのスクールアイドルでもなく、Aqoursがこんな夏の曲を唄うこと。

Aqoursが夏への想いそのものとして発信するメッセージは、意識してか無意識なのか、彼女たち自身の在り方への問いかけなのかもしれません。

 

・それでも夏は終わるし季節は移ろいゆく

夏への扉 Never end ver.」を皮切りに始まるこのCDの4曲には、大なり小なりそういった夏への「過ぎ去っていく儚さ・切なさ」が内包されており、それを大きなテーマとして4種類の表現をしているミニアルバムである、と私は考えています。

前述の通り、この曲では明るさを全面に押し出し、かつ永遠ではないことを自覚した上で永遠を望む、そういった無謀で突き抜けた切なさを見せることで彼女たちの「夏」を表現しているものです。

この、ある種刹那的で大局を悟っているような、そんな目線は花丸の領分なのかな、なんて考えています。

 

・ピアノで表現するサンバ

サンバ、と聞いて最初に浮かぶイメージはリオのカーニバルやハワイのなんか民族的な踊りだったり、そういった南国の踊りというものが多いと思います。

そういった民族音楽では、高低の叩き分けができる太鼓のような打楽器や笛なんかがメインの楽器となりますが、この曲のメンバーに桜内梨子が含まれている要素として、随所に仕込まれるピアノの音色というものが上げられます。

 

特徴的な部分では1番Bメロの

“ぼーっ” と過ぎちゃもったいない
“ぎゅーっ” と濃い時間が欲しい?

ここで歌詞の問いかけを助長するようなころんというピアノが入ったり、

2番Bメロでは

“わーいっ” て笑顔見せてよ!

この歌詞のあとに勢いを加速させるグリッサンドと、サビ前のテンションを維持する下降音階での力強い伴奏が入ってきます。

 

そして、Cメロの梨子ソロ部分。

この季節
いつか思い出になるの?

前述したようにこの曲……ひいてはこのアルバム全てのテーマである夏の儚さを切なく歌い上げる場面、伴奏には情感的なピアノが寄り添っています。

Aqours楽曲はμ's楽曲に比べてピアノが印象的に使われる場面が多いなあと私は感じているのですが、これはメンバーである梨子の、大切なもう一つのアイデンティティ*1

です。

彼女が作曲しAqoursへ提供しているという背景があるので、ピアノの音色に意味を見出したい場面では、きっとそこには作曲する彼女の意志が垣間見えるのではないか、なんて考えています。

 

Aqoursとの夏

こうして歌詞とメロディを読み解いていくと、ひとつだけ疑問に思う部分が1箇所あります。

お祭りの太鼓で踊ろう

この歌詞って、南国やビーチをイメージしたこの楽曲の中で、なんとなく浮いている気がしませんか?

確かにサンバはお祭りの音楽ですし、その中で太鼓を叩くというのもわかります。

ですが、この曲であまり太鼓の音が強調される場面は多くないですし、やはりイメージは海や太陽といった方向に向かうと思うのです。

初めて聴いた時、この部分だけ何か浮くなぁと、そう感じていました。

 

ですが、我々はもう知っています。

日本人がイメージする「祭」の中で「太鼓」というのは言うまでもなく和太鼓です。

そしてこの夏、我々は見ているんです……和太鼓を。

ステージ上で和太鼓を迫力満点に叩く伊波杏樹さん

正面では団扇をもってじたばたする某水族館のゆるキャラ

そう、サンシャインぴっかぴか音頭です。

f:id:daimarco16:20170824192406j:plain*2

 

このデュオトリオ企画もAqoursの「Next step project」の一環として組み込まれているものならば、発案のタイミングでもしかしたらツアーにおける「お祭りの太鼓」は存在が見えていたのかもしれない。

Aqoursと一緒に、太鼓に合わせて一緒に踊る……そんな夏を、できれば終わって欲しくないけれど、思い出となるならせめて精一杯輝いたものに……。

そんな願いを唄ったこの曲。

終わりへ向かう夏への扉を開くイントロダクションとして、鞠莉と花丸と、梨子の3人が考える彼女たちなりの夏のイメージとして。

様々な意味とメッセージを内包して始まるこのミニアルバムの序曲は、多くの可能性の扉となって我々に眩しい光景を見せてくれるのではないのかな、と思っています。

 

曲単体以外に、やはり避けて通れなかったのでアルバムテーマと「Aqoursと夏」についても語ってみました。

基本的にはこのイメージを前提としてこの先の曲も分析できればと思っています。

致命的な解釈違い等がある場合は今後もこういう論調となるので、そっとブラウザを閉じて頂ければお互いに幸せかもしれません。

 

それでは今回はここまで。

次回は…結局夏って誰のものなの?お姉ちゃーん……です!

*1:何かを掴むことで何かを諦めなかった結果のもう一つの輝き

*2:こいつはもうサンシャイン!!のキャラなのでは……?

ラブライブ! サンシャイン!! デュオトリオコレクションCD VOL. 1 ~SUMMER VACATION~をめぐる冒険

皆様はじめまして。十六夜まよと申します。

 

この度、Twitterの140文字には収めきれないAqoursに関わる楽曲への想い、吐き出したい感情や感想をぶつける場所をもとめてブログ開設に至りました。

 

・このブログと自分自身について

ラブライブ!というコンテンツにはμ's時代から触れていましたが、現在のプロジェクト「ラブライブ!サンシャイン!!」が始まり、Aqoursというユニットに触れるに連れその輝きに魅了され、気づけば先代のμ's以上に彼女たちに入れ込んでいました。

そんな人間がAqoursや、その楽曲について語るブログにしていこうと考えております。

私自身はただの声優オタクですが、少しだけ音楽…そして声楽というものに触れた経験があるので、コンテンツに対する時に音楽や声の表現について考えることが多いです。

アニメやG'sマガジン上で展開されているAqoursの物語について…というよりは、曲やライブ演出に関わる「音楽」という切り口から、Aqoursへの想いを語っていければ、なんて考えています。

 

・デュオトリオコレクションCD VOL. 1 ~SUMMER VACATION~

さて、楽曲を取り上げるこのブログ第1回のテーマはデュオトリオCDこと、

ラブライブ! サンシャイン!! デュオトリオコレクションCD VOL. 1 ~SUMMER VACATION~

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についてです。良い感じの呼称ないですかね。基本的にはデュオトリオと呼ぼうと思います。

この記事はこの先の曲単品の分析や自分なりの解釈、解説のプロローグ的な記事にしようと考えているため、現段階では曲へは踏み込みません。

 

・4曲を通しての魅力

このシングルCD…いいえ、規模的にはミニアルバムと言って良いものになっていると私は考えていますが、この構造がアルバムとして1本筋の通ったものになっています。

お気づきの方も多いかと思いますが、曲順にきれいに「起・承・転・結」の構成となっており、4曲続けて聴いた時に心地の良いストーリーの読後感が残ります。

このストーリーがまた強烈なもので、夏の始まりから終わりを一気に駆け抜ける、そういったセンチメンタルな物語が想起されるため、通して聴いた時に魂が持って行かれた方も多いのではないでしょうか。

私は…はい、初めてフルで聴いたときは運転中でしたが、一旦車を停めて少し休憩しないと命に関わる状態になっていた、とだけお伝えしておきます……。

 

・夏は、お好きですか?

夏、と聞いた時に皆さんが思い浮かべる風景はありますか?

私は地面いっぱいのひまわり畑と突き抜けるような青空、通り抜ける飛行機と尾を引く飛行機雲であったり、夕暮れ時のオレンジと紫に光が分解される人のいないビーチ、そよぐ風と少しだけひんやりする空気…そんな光景が浮かびます。

季節感と結びつく風景は日本だと四季折々、様々なものがあると思いますが、こと夏に関してはこういった風景が想起されてノスタルジックな気持ちになること、多いのではないかなと思います。

誰もが子供の頃経験しているであろう「夏休み」という特別な時間、楽しくも儚い期間限定の思い出として、鮮烈に残るものであるのかなというのが「夏」のイメージです。

 

そんな夏を呼び起こし、存分に楽しさを謳歌した上で終わらせてくるこのシングル、夏が好きだという方も、さほど好きでは…という方も、通して聴くと何か心の奥底をくすぐられるような甘酸っぱい思い出や光の明暗、もしくは匂いや温度みたいなものに揺さぶられる感覚を覚えるのではないでしょうか??

 

今後、各曲それぞれに焦点を当て、このシングルが持つ魅力を紐解いていければ。

そんな風に考えております。

 

Aqoursの2ndLoveLive、HAPPY PARTY TRAIN TOUR埼玉公演では恐らく演奏されるであろうと言われているこのデュオトリオシングル。

それまでに曲への理解を深めて、当日一緒に感傷という重機に轢き殺されましょう。

 

ひとまずここまで。

次回は…夏への扉、開きます。