"気付き"の範囲と姉の嘘:北海道編・前編
皆様こんばんは。十六夜まよです。
ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメ2期 第8話「HAKODATE」、今回も素敵な回でしたね。
兼ねてより"黒澤姉妹推し"を主張している私十六夜まよとしては、デュオトリオの「真夏は誰のモノ?」や2期第3話の「MY舞☆TONIGHT」に続き、「姉妹回」となった今回は本当に感慨深かったです。そして多くの気になる点もあり、後々のため感想を記事にして残しておくこととしました。
挿入歌は存在しなかったので曲考察はありませんが、次週第9話での挿入歌発表が期待されるため、その前段階としての役割も兼ねております。
注)一部登場する歌詞はいつものように下線と斜体で引用とします。
●震える指先 知ってても 見ないで
さて、全道民待望の北海道編!ということで、我らが道民の星・Saint Snowが話に関わってくる回でした。
北海道地区大会へゲストとして招かれたAqoursは、本番前にSaint Snowの2人の待つ控室へ顔を出し、挨拶をします。
「皆さんと決勝で戦うのはまだ先ですから。」
と余裕の表情を浮かべる聖良とAqoursとで会話が進行します。
「もう決勝に進んだ気でいるの?」と善子は言いますが、実際前回大会は地区予選をトップで通過し本大会でも8位、今回も予備予選を1位で通過している彼女達は最早北海道地区に敵はいない、と言っても過言ではなく、逆にそれくらいの自信と風格があるからこそ王者足り得るのだとも思います。
しかし、その上で聖良はAqoursに対し
「Aqoursは格段にレベルアップしました。今は紛れもない優勝候補ですから。」
「あのときは失礼なことを言いました。お詫びします。」
と謝罪します。
当時、彼女達から見れば「遊び」だと思われていたAqoursの実力を認め、対等なライバルの関係にある描写を差し込むことで、後に来る決勝大会の「Aqours v.s. Saint Snow」を際立たせ想像させる場面でした。……が。
千歌との握手を経て、「ラブライブの歴史に残る大会にしましょう!」と意気込みを語る聖良。ずっと先を見ています。
そして、足元が、自分達自身のことが見えていませんでした。
姉が活発に会話をしている後ろで、妹の理亞はひたすら曲を聴き込み、本番のイメージトレーニングをしていました。姉から呼びかけられても気付かない程に集中して、です。
それ程までに神経を研ぎ澄まさなければならない理由は何か、直後に小刻みに震える手が描写されることで視聴者には緊張していることが伝わります。
そしてその出来事は、唯一ルビィにだけ気付かれていました。姉の聖良ではなく、Aqoursメンバーの中でもルビィにのみ、というところがこの回のミソとなってきます。
王者として北海道地区に君臨するSaint Snowとは言えども、やはり高校生。
特に理亞の視点では姉の最後のチャンスとなる今大会は絶対に失敗できない本番の連続となるでしょう。その大切さは地方大会であるとか、予選であることは関係ないはずです。
その緊張やプレッシャーは、自分がこれまでに積み上げた練習を思い出し、本番の成功イメージをし続けることでしか跳ね返せません。
1期第8話や、HAPPY PARTY TRAINのPVでもとにかくストイックに練習を続ける姿が描かれていたルビィにとって、練習を思い出し緊張を鎮めるその姿は、自分とモロに重なったのだと思いますし、だからこそルビィのみが理亞の姿を見て、緊張していることに気付くことができたのかなと考えます。
1期でSaint Snowが発表した「SELF CONTROL!!」にて唄われている彼女達の心境は、そんな姿と重なってきます。
いま全て勝ちたい ただ前だけ見るって決めたよ
敵は誰? 敵は強い自分の恐怖さ
わかるでしょう?
強い怖れを捨てなくちゃ
誓うよ 君を 凄い場所へと連れてくよ
連れていきたい凄い場所。これはきっとお互いがお互いを高め合い、物理的には大会の決勝、その頂点へ。精神的には憧れのA-RISEと同じ景色を観られる、気高い王者の精神へ。
そして、それでも、そこまでの覚悟や決意をもってしても。
ふるえる指先知ってても 見ないで
大切なのは SELF CONTROL!!
緊張は襲いかかります。だからこそ自分を律する(SELF CONTROL)ことで震える指先を見なかったことにして、また、見せないようにしてステージに立つのです。
全ては勝つために。そして己に克つために。
ステージのシーン。新曲「DROPOUT!?」のゾクゾクするクールなイントロが流れると歓声が上がり、2人の姿が現れます。
しかし、この時の表情は対照的で、余裕ある笑みさえ浮かべる聖良に対し、理亞の顔には緊張がありありと浮かんでおり、しかも口元は描写されないという徹底っぷり。
彼女の抱えたプレッシャーは、(視聴者を含む)誰にも見ることができなかったのです。
曲の演奏シーンすらなく、次のカットでは結果発表後の場面へ移ります。
1期で散々ネタにされた「ダンスなう!」の歌詞ですが、今回彼女達にはその「今、踊っている」という瞬間すら用意されませんでした。
「北海道地区に敵はいない」と前述しましたが、歌詞の通り、1番の敵は自分自身でした。そんな皮肉が襲いかかるのも、ある意味謝罪するだけでは禊にはならない彼女達の背負ってしまった負の役割だったとも考えられます。
●気付く人、気付かれない位置、気付く資格
Saint Snowの敗退を受け、これ以降はルビィの表情がピンポイントに抜かれ、何かを思う姿がこれでもかというくらいに描写されます。
前項で「役割」という話が出てきました。
ここから少しメタ視点の話となりますが、今回の話においては、キャラクターごとに役割分担がハッキリしており、その役割に当たらないキャラの動きについては他の役割ができないよう、強めの制約がかけられています。
まずは「黒澤ルビィ」。
彼女には理亞の機微を想い、彼女独自の視点から理亞の思考をトレースし、その心情を慮る「気付く人」の役割を与えられています。
前述した努力の人であることや、3年生の姉を持つ妹であること等、理亞との共通項が多いことがその条件となっているのだと思われます。
そして「黒澤姉妹を除く7人のAqoursメンバー」。
彼女達はそういったルビィの動き、悩みや背負う気持ちについて今回は「気付くことができない」立場に固定されます。これは後述しますが、状況とルビィの動き方によるもので、彼女達が冷たいとかルビィを蔑ろにしている、という意味は含まれません。
最後に「黒澤ダイヤ」。
彼女が今回の物語の中で唯一「ルビィの機微を捉えられる」人物となります。何故彼女なのか、は彼女がルビィの姉であるからというもう一つの役割分担によって決定されたものだと思われます。ある意味では彼女の持つ資格、と言い換えても良いかもしれません。
ちなみに私達「視聴者」は、限りなくダイヤに近いポジションとなります。逆に言うと、視聴者から見えている情報のほとんどは、他のAqoursメンバーには見えていないことだということになります。
さて、本編に戻りましょう。
会場から出る際、やはり何かが引っかかる様子のルビィですが、彼女は最後尾にいて物思いに耽っているため、その姿は他のメンバーには映りません。
ですが、「唯一気付くことができる」ダイヤだけは振り返ることで彼女の姿を確認し、何か思うところがある様子です。
続く市電のシーンでも、会話中は横並びに座っており、お互いの表情は確認しづらい様子です。特にルビィの向かいにはダイヤしかいない、という状況です。
そして恐らく意図的にですが、黒澤姉妹の姿が画面から外されることで、視聴者目線でも彼女達の動きが判りづらくなっています。
「やっぱり会いに行かない方が良いのかな?」という千歌に対して、
「そうね!気まずいだけかも……?」と気を回す善子。やはりこういった場面での気遣い能力は彼女に勝るものはいないでしょう。
それでも、ルビィの機微に今回は役割上気付くことができません。
「あの2人なら大丈夫だよ。」「仲の良い姉妹だしね。」
と実際はさほど根拠にならない理由で無理に納得する方向に持っていこうとする曜と梨子。
その会話を受けてルビィのこの表情。仲の良い姉妹だからこそ、という結論をルビィはこの段階で出しているのだと思います。
ここからの描写、本当に細かくて美しいので1カットずつお送りします!!!
同じく何か思うところがありそうな姉を見るルビィの視点。
見ていることを姉に気付かれます。ホクロが麗しい。
思わず顔を伏せ、視線を逸らすルビィ。
そして目元のアップ。どうでもいいですけどこの2人の瞳の色、めちゃくちゃ好きです。
会話でもない、ただ視線が交差し表情を伺っただけの一連のやり取りで、ダイヤの目には何かの確信めいた気付きが生まれます。
少し話が逸れますが、皆さんにはきょうだいはいますか?
私は弟と妹がいるのですが、親とはまた別にきょうだいという存在には特別な絆を感じます。
劇中で千歌が言っているように「あまりにも自然に、生まれた時からずっといる」存在が姉であり、兄弟姉妹です。
ことフィクションの世界において、そういった魂レベルでの繋がりや血縁、絆といったものは言語や感覚を超越し、不思議な力で意思疎通をしたり困難に打ち克ったりします。
私はそういう作品や描写が大好きで、ラブライブ!サンシャイン!!に限らず他の作品でも兄弟愛や姉妹の絆がテーマとなった物語は大好きなので、黒澤姉妹に惹かれた理由も、そんなところからなのかなと思います。
閑話休題。
姉妹に宿る超常的な何か。今回は特にダイヤにその力が与えられ、ルビィの機微に気付くことができる資格を得て、間接的に物語を動かす役割となっています。
同じ姉の立場から、理亞の緊張に気付けなかった(もしくは、「知ってても見ないで」いた?)聖良とは対比の構造が生まれていますが、このあたりがどう活かされるかは第9話次第といったところでしょうか。
翌日、五稜郭タワーではしゃぐメンバーを尻目に、ここでも丁寧にルビィだけが他メンバーの視界に入らない位置で暗い表情を見せています。
ルビィが皆の視界の外にいるのと同時に、他メンバーは周囲の新鮮な北海道の景色にまさに「目を奪われ」、ルビィどころではない、というのも「ルビィの動きに気付けない」原因のひとつになっているのだと思われます。
沼津で暮らす女子高生が、自分たちの力で勝ち取った名声でゲストとして遠い北国へ招待されているなんて状況は、浮足立って観光に一生懸命になるのも仕方のないことなんですよね。
基本的に最後尾で1歩引いているルビィの姿、表情は、やはり上手にステルス状態を続けます。
あの花丸でさえ、寒さでいっぱいいっぱいなのです。後ろでルビィがこんな顔をしていても、やっぱり気付きには至りません。
そろそろくどいと思われるかもしれませんが、ここのシーンの明暗も非常にハッキリしています。
予選の件で理亞のことを気にし続けるルビィ。
強い想いが距離や空間を埋めて、心だけでなく物理的な隙間さえも縮めるラブライブ世界のルール*1に則り、このルビィの気持ちは1つの偶然を引き寄せます。
ここでAqoursとSaint Snowが、と言うよりもルビィと理亞が再会するのは必然だったと言えるでしょう。
●妹を想う姉の嘘
Aパートでは視聴者にひたすらにルビィの挙動を追わせ、それに気付くのはダイヤだけ、という状況が描写されていました。
Bパートはまず、姉が妹を想いなかなか口に出せない本音に注目していこうと思います。
ダイヤから「残念でしたわね……昨日は。」と話題が切り出されたのも、何かしら気にしていそうなルビィを想ってのことだったのでしょうか。
理亞は話題にされたくないのか、「食べたらさっさと出ていって!」と突っぱねます。
こういった要所々々でルビィが画面に描写されないのは、やはり全員の視点が彼女へ向いていないことを暗喩しているのだと思います。理亞の言動が注目を集めていますしね。
「いいんですよ。ラブライブですからね、ああいうこともあります。私は後悔していません。」
この聖良の台詞、潔さは王者の風格とも取れますが、本心ではきっと嘘なのだろうな、と私は考えています。
「だから、理亞もきっと次は。」
と続いているのですから、彼女は理亞の次のステージのことを考えて、自分が重荷にならないよう、後悔していない等と優しい嘘をついています。きっと姉って、そういうものなんだと思います。
自分は兄ではありますが、やはり年長者として、少しだけ先を生きている者として、すぐ後に続く弟や妹の足を引っ張るわけにはいかない。高校生くらいの年齢でも、そういった矜持みたいなものは持ち、きょうだい達のことは気遣っていた記憶があります。
それに対し、「私は続けない。Saint Snowはもう終わり!」と言い切る理亞。
「だからもう関係ないから。ラブライブも、スクールアイドルも。」
この言葉を受け、再びルビィの細かい表情変化です。
これは完全に予想ですが、理亞のこのスクールアイドルとの決別の言葉を聞いたルビィは、2年前に姉が「もう見たくない」と言い、スクールアイドルから遠ざかった時のことをフラッシュバックさせているのではないでしょうか。何かを感じ、「ぁ……。」と言葉を失う姿は、似た経験を思い出しての硬直のように見えました。
場面転換してラッキーピエロ。「ラッピ」と略すのが道民のスタイルです。
来年度のSaint Snowを心配し、会話するAqoursですが、ここでもやはり視界からルビィが外されます。表情が見えないのは何かを秘めている証。その想いが、いよいよ打ち明けられます。
余談ですが「結局、ステージのミスってステージで取り返すしかないもんね。」という果南の言葉に、1stライブの逢田さんのことを重ねた方も多いのではないでしょうか。
「でも、すぐ切り替えられるほど、人の心は簡単ではないってことですわ。」とダイヤも言うように、本来であればステージが止まったまま動かなくなってもおかしくなかったあの事故。彼女はよく持ち直したなぁと改めて尊敬します。
ともあれ、メンバーは理亞の「もうおしまい」発言の原因を「ミスによる自信の喪失」なのではと結論づけようとしますが……
「違うと思う。」
彼女にしては珍しく強い否定の言葉が場の空気を変えます。
「聖良さんがいなくなっちゃうから。お姉ちゃんと一緒に続けられないのが嫌なんだと思う。お姉ちゃんがいないなら、もう続けたくない、って。」
これは理亞がそう思っていることの予想であると同時に、どこかで彼女自身も思っていることとも取れます。
μ'sが終わりに向き合ったように、Aqoursも大会優勝の先を見た時の「その先」を考える段階に入りつつあります。ルビィ以外にも、そのあたりを考えていくメンバーは今後出てくるのかもしれませんね。
兎にも角にもそんな考えをもっていたことを打ち明けたルビィ。メンバー全員が驚きをもって彼女を見ます。
我々視聴者からは、ルビィが何かを考えているのだろうという姿は散々見えていましたが、前述の通りダイヤ以外のメンバーはそれに気付けない状態でした。そんな中、突然考えを打ち明けたルビィの姿は、他メンバーからはどう見えたでしょうか。
驚嘆・唖然といった感情がきっと多く混じると思います。そうなると場の空気に耐えかね、店を飛び出す姿もルビィらしい行動だと思うのです。
「やはり、そんなことを考えていたのですね。」と言わんばかりのダイヤ。
●もう一人の姉の嘘
いよいよ黒澤姉妹の会話シーンです。ここからが本番です。
姉としての役割・資格を与えられた今回の話にとって、ここでルビィの話を聞きに現れるのがダイヤであることは必然と言えるでしょう。
1年生や千歌、鞠莉等他にもルビィや周囲に対する気付きに長けたキャラは多いですが、今回はその役割に無い、というのは前述の通りです。
突然店を出たルビィに対して他メンバーは動揺したかもしれないですが、その場でここまでの段階においてルビィの動きに気付けていたダイヤは、恐らく即座に「大丈夫です、わたくしがなんとかしてきますわ。」と場を静めることができたはずです。
ルビィの分のコートをしっかりと持ち、追ってくるダイヤ。
本筋と関係ない上に良いスクショが無かったのですが、ダイヤのマフラーと手袋が赤単色ではなくピンクとのミックスなのが姉妹感出てて本当に良いです。ほっこりしますね。
「理亞さんに何か言われたんですの?」
この問いかけは別にそうではないと思いつつ確認したものだと考えられます。ルビィが自分なりに考えて導いた結論であることには、直感的に気づいている……それは、これまた姉としての"不思議な直感"なのかなと感じます。
ラブライブ!において度々使用される「光の当たり方」の演出はこの場面でも顕著に使用されていますね。
悩みを抱えたルビィは陽を背負い逆光に座り、聴く立場のダイヤは正面から光を受けています。
「お姉ちゃんも、決勝が終わったら……?」
「それは仕方ありませんわ。」
「でも、あんなにスクールアイドルに憧れていたのに、あんなに目指していたのに。もう、終わっちゃうなんて……。」
そう涙を流すルビィ。作画も相まって本当に美しいですよね。
自分自身の淋しさももちろんあるでしょうが、この時の涙はやはりダイヤを想い気遣ってのものでしょう。黒澤ルビィという人間は、いつだって人のために泣くことができるキャラクターだと、私は考えています。
その解答としてダイヤは
「わたくしは充分、満足していますわ。」
と返します。
この台詞、聖良の場面でもありましたが、やはりこれには姉の嘘が混ざっているのではないでしょうか?
ぎゅっと握るスカートの裾は、隠しきれない心情の現れに見えます。
「果南さんや鞠莉さん、2年生や1年生の皆さん、そして何よりルビィと一緒にスクールアイドルをやることができた。」
本来であれば、その想い出は高校3年間のものとなっていたのかもしれません。しかし、彼女の場合はそうはなりませんでした。
「できることなら」「もしもあの時に」そういった考えは、例え全てを受け入れて耐えてきた彼女とて、「そうそう簡単に割り切れるものではない」と彼女自身も先程口にしていました。
それでも姉は、妹のために優しい嘘を吐きます。この時の心の動きは、聖良と全く同じものでしょう。
たまらず抱きつき、「ダイヤからかけてもらった」コートを落とすルビィ。
コートが落ちたのは、彼女が既に姉の庇護から自立し歩くことができているからだと考えます。
「それでラブライブの決勝です、アキバドームです。夢のようですわ。」
この気持ちは本心からのものでしょう。ルビィとの距離は縮まり、庇護を意味するコートは落下しているので、これ以上彼女を気遣い嘘を吐く必要はありません。
そして一転、
「でも、ルビィは、お姉ちゃんともっと歌いたい……!」
そうして泣く彼女の涙は、正真正銘彼女自身の淋しさを表現した涙なのだと思います。
「お姉ちゃんの背中を見て、お姉ちゃんの息を感じて、お姉ちゃんと一緒に汗をかいて……。」
「ルビィを、おいていかないで……。」
この、姉妹という関係に生まれてしまったが故に、絶対に避けられない時間の壁。姉がどんなに努力しても超えることの出来ない理不尽な課題を、臆面なく口にできるのは妹の特権です。そして、かつてはそんなことを言うことすら憚られていた時期もあっただろう2人をここまで言える関係に戻したのは、やはりスクールアイドルの活動だったのだと思います。
私自身は、弟と3歳差、妹と6歳差ということで高校生活の時期が被ることはなく、一緒に何かの活動に打ち込む、というタイミングはありませんでした。
それでも常に人生の節目では先に生まれた者の責任と矜持を持って「先に行って」いたつもりですし、時に「置いていく」ようなこともあったかもしれません。
そんな妹に「おいていかないで」と言われる姉の心情は、本当に複雑で理不尽故にどうしようもなく、それを言われても……と困惑すると同時に、やはりどこかで最高に嬉しいことなのだと思います。
例えワガママでも、理不尽でも。分別がつくこの歳になったからこそ、ダイヤは妹にこの言葉を言われたことが一番嬉しかったのではないでしょうか。
第8話は本当に、1カットで表情の変化を如実に出して心情を表現するシーンが多く美しいですが、この言葉を受けてこみ上げるものをこらえるダイヤは、やはり強くて頼もしいルビィの姉なのでしょう。頑固とも言えるでしょうが、妹の前で不用意に涙は見せない、そんな使命感で涙をこらえるのもまた姉の立場・役割なのではと考えています。
「大きくなりましたわね。それに、一段と美人になりましたわ。」
ここで「美人」と表現するのがとても印象的でした。普段のルビィには「可愛い」という表現が当てはまりますし、ダイヤ自身そういって妹を可愛がっている場面もあります。
黒澤家の教えや生き方の中で、華道や茶道に和琴、日本舞踊等が習い事としてあるのが、日本人の女性としての内面的な「美しさ」を求めるためであるとするなら、「美人になった」、それも「一段と」という褒め言葉は成長を認める上で最高の賛辞なのではないでしょうか。
その後の「今後どうするか」といった会話は、今後のAqours全体を考える意味でも重要になってくることと思います。
姉がいなくなり、学校も無くなる来年、ルビィはどういった選択をするのか。他のメンバーは?
そういった疑問の1つのとっかかりになる部分かと思います。
対してダイヤは
「わからないですわ。その時になってみないと。今はラブライブの決勝のことだけしか考えないようにしていますし。」と「まずは決勝」と話題に蓋をします。
視聴者への、まずは大会の行方を見守っていてね、という釘刺しのようにも感じました。
そして続く「ただ、ただ……。」というダイヤの台詞。
ここで一旦場面を切ったのは、後に姉の本心をルビィの口から理亞に語らせる場面で有効に作用しており、時間を上手にまとめているなぁと感心するばかりです。
鈍(にび)色の、とても"北海道の冬"らしい空。
晴れつつも厳しさが見え隠れするその色は、まだ問題解決を迎えていないもう片方の姉妹を暗示してのものでしょうか。
●他2組とは少し違う高海姉妹
夜になり、場面はようちかホテル。
「どんな感じなの?お姉ちゃんって。」
という曜への問いかけに対し、千歌は
「うちはあんな感じだから」
と答えになっていない答えを繰り出します。
実際幼い頃から高海姉妹と付き合いの深い曜には、それで通じるのかもしれませんし、それで通じる関係、というのがまた「姉妹」というものの不思議な絆を示しているという気がします。
1期第3話のライブシーンで駆けつけた美渡のシーンは、実は私も結構好きな場面でした。
この時の美渡が優しく見守る表情、千歌が心底安心したであろうことがわかる
「あぁ、美渡ねえだ……!って。」という台詞。
この台詞も実際そこまで具体的なことを説明していないのですが、なんとなくそんなものだよね、と通じる力強さがあります。
そして、兄の立場からはこの美渡の顔が本当に良い顔に思えます。
口では「あんたには無理」というようなことを言いつつ、輝きへの第一歩を踏み出した妹を見守る表情は、慈愛に満ちて深い愛情が感じられます。
千歌の場合は姉と同じ高校に通うほど歳が近くはないので、黒澤姉妹・鹿角姉妹とは状況が少し違っていますが、姉妹の絆を表現するエピソードとして、喧嘩ばかりの高海姉妹という対照的な立場からの「姉妹」の説明が入ったのはメリハリがついて良かったのではないかなと思います。
●妹たちの姉自慢大会(かわいい)
ルビィが一人で出かけたらしい、という善子と花丸の会話ですが、ここで彼女を気にする素振りもなくふとっちょバーガーを食べる花丸について色々言われていますね。
ですが、この記事をここまで読んでくれた皆さんにはこの場面の彼女の行動にも説明はつくのではないでしょうか。
徹底してルビィが深刻な面持ちでいる様子は視界から外れており、物語の性質上、それに気付くことができるのは血の繋がった姉妹であるダイヤでなければなりません。
時に過保護と思えるほどにルビィを心配し、尊重し配慮を重ねる花丸の性質は、1期第4話でルビィを羽撃かせ、さらに自分がそのルビィに誘われる形でAqoursに入った時点で対等なものとなっており、良い意味での気を使わない関係性が築かれていったのだと思います。しかもそれから約半年が経過しています。
恐らく善子を含めた3人での相部屋でしょうから、出かける際にルビィは必ず声掛けしているのでしょうが、突然の外出について花丸が多少心配したにしても、昼の問題はダイヤが対応済み、そしてルビィへ買ってきていたハンバーガーを「いらない」と言ったことからすぐ帰るつもりではないことを察し、一人で行くつもりである旨は話の中で気付いているのでそこは深追いしない。そんなやりとりが出発前にあったのだろうと考えられます。
何かを思うルビィを放ったらかしてそんなことができる子じゃない、という意見もありますが、このように考えると、より血の通った、深い友情が育まれているのだと考えることもできるのではないでしょうか。
あくまでもこれは1考察に過ぎませんが、心配するだけが友情ではないというのは皆さんにもご理解頂ける経験があるかと思います。
ともあれ。そのような経緯で一人で外出してきたルビィ。向かう先は昼にも訪れた鹿角姉妹の店です。
孤独に函館の街を歩くルビィを描写しつつ、昼のダイヤの台詞の続きが明かされます。
「ただ、貴女がわたくしに、『スクールアイドルになりたい』って言ってきた時、あの時、すごく嬉しかったのです。」
「わたくしの知らないところで、ルビィはこんなにもひとりで一生懸命考えて、自分の足で答えに辿り着いたんだ、って。」
妹の成長を喜ぶ姉の想いが、ここで初めて語られます。
1期第4話で明確にはされなかった姉妹での会話内容が、ここではっきりとしたわけですが、内容についてはほぼ想像通りだったと思います。
ひとり夜の街を歩く姿は、その「自分の足で答えに辿り着く」姿を強調していますし、今まさにそれを実行しているルビィの強さが、姉の肯定をさらに力強いものとします。
そしてこの言葉は、ルビィに何かしらの気付きを与えたようです。
鹿角家を訪れたルビィ。
「あの……ルビィ、黒澤ルビィです。」
とお辞儀をする姿は、一人称が自分の名前だったりと多少拙くはありますが、黒澤家の次女として恥ずかしくない、立派な振る舞いだと言えるでしょう。基礎ができている娘さん、本当に良いと思います。
「ルビィにもお姉ちゃんがいて……。」
と自分も同じ妹であることから会話を切り出すルビィ。それに対して理亞はダイヤの名前を挙げ、
「一応、調べたから。Aqoursのことはね。」
と返します。その上で理亞らしいのは、
「でも、私の姉様の方が上。美人だし歌もダンスも一級品だし。」
と突然の姉自慢を始めてくるところです。それを口火に、
見てくださいこの顔。かわいい。姉自慢大会の幕開けです。
ここの台詞全部可愛いんですけど、特に
「必要な基礎は同じだって、果南ちゃんも言ってたもん!」
と「姉が果南にも認められている」という実のところ外の人間にはすごいのかすごくないのかはっきりしないものを根拠として持ってくるところにムキになっている必死さが見て取れて、ついでに果南への信頼がさらっと感じられる台詞となっておりお気に入りです。
「そんなことないもん!」の言い方も本当に可愛いです。かわいい。
そして引き出した
「でも、私の姉様の方が上!」
という言葉。そこまで心配は無かったのでしょうが、それを聞いてルビィも
「やっぱり、聖良さんのこと大好きなんだね。」と安心した声色で会話を続けます。
彼女にとって1番恐れていたことは、今回のことを通して理亞が聖良のことを嫌いになってしまうことだったのではないでしょうか。
傍から見ると余計なお世話なのですが、それでも同じ境遇の妹として、一度スクールアイドルを切っ掛けに姉との関係が壊れかけた者として、鹿角姉妹には仲の良い姉妹であって欲しい、そんな少しのワガママが、今回のルビィの悩みの核であり、原動力だったのではと思います。
続けて、
「当たり前でしょ!? アンタの方こそ何?普段気弱そうなくせに!」
と返す理亞に対してルビィから核心ど真ん中、ストレートなトドメの一言。
「だって……大好きだもん。お姉ちゃんのこと。」
これです。これなんです。
こんな妹のお姉ちゃんになりたい。
高校生にもなり、少し背伸びしたり大人ぶったりしたい難しい年頃の女の子が。
家庭の事情で少しだけ周りとは違う境遇で育ち、恐らく常に姉と比較され続けてきた妹が。
恥じらいなく優しい笑みを浮かべながら放つ「大好きだもん」という言葉にはどれほどの愛情と慈しみが詰まっていることでしょう。
家族だからこそのこの感情は、同じ妹の立場にある理亞と絶対に同じ感情であるという確信が持てるからこそ、ルビィはこう堂々と言えるのです。
「それでね。ルビィ、お姉ちゃんと話してわかったの。」
「嬉しいんだって!お姉ちゃんがいなくても、別々でも、頑張ってお姉ちゃんの力無しでルビィが何かできたら嬉しいんだって。きっと、聖良さんもそうなんじゃないかな?」
「妹が自分の足で答えに辿り着く」ことが嬉しいと語ったダイヤの言葉はルビィの口から理亞へと伝えられます。
歳が近くて同姓の姉妹ならでは、という感覚がありますが、やはりそういった姉の願いというのは共通するものなのでしょう。
理亞の答えは
「そんなの解ってる。だから、頑張ってきた。姉様がいなくても一人でできる、安心してって。」
「なのに、最後の大会だったのに……!」
理亞が1番悲しく、淋しいところはこの部分でした。最後の大会でしっかりと「自分の足で歩いている」姿を見せ、姉には安心して活動を終わって貰いたい。
姉が自分の自立を願っていることがわかるからこそ、それが上手くいかなかったことへの悔しさと申し訳無さで塞ぎ込んでいたのです。
聖良は「私は後悔していません」と語りましたが、理亞にとってそれは充分な条件ではないのかもしれないですね。
ですが、一歩先に「自分の足で答えに辿り着く」力を得たルビィはさらに先へ進みます。
「じゃあ、最後にしなければいいんじゃないかな!」
完全に主人公です。ラブライブ!の主人公ですよこういう言動は。
「残酷な結果に直面しても諦めずに足掻き切り、自分たちだけの輝きを見つける」という「敗者の勝利条件」を手に入れたAqoursの魂は、しっかりとルビィの中にもありました。
納得できない終わり方なら、さらに機会を作って終わりにしなければいい。自分で作り出した「最高の終わり」を、本当の終わりとして飾ればいい、という、「大会で勝つ」ことを至上命題としてきたSaint Snowには恐らく辿り着けない境地。
直前の第7話で目的を見失ったAqoursへ浦女の生徒達が新たな目的を示したように、今度はAqoursが同じように道に迷う存在を導き、輝きを伝えていく。
μ'sは「SUNNY DAY SONG」で太陽のように全てのスクールアイドルへ福音をもたらしましたが、Aqoursは横に横に伝わる波の力で、近くの存在を奮い立たせ、その動きを大きくしていきます。
μ'sとは違う、「Aqoursらしい輝き方」が、徐々に発露し周囲へ影響を及ぼし始めてきました。
ラストカットは、水色とピンク、Saint Snowのイメージカラーでライトアップされたイルミネーションの前です。相変わらずEDテーマのイントロの入りは素晴らしいですよね。
「歌いませんか?一緒に曲を。お姉ちゃんへ贈る曲を作って、この光の中でもう一度!」
主人公ですかねこの子は(2回目)
実際のところ、ルビィがここまで心強い、主人公かのような動きができるのは間違いなく「成長」であり、Aqoursとして悩んだこれまでと、姉から背中を押された自信とで力いっぱい羽撃いている状態です。
視聴者はダイヤの目線に近い、と役割の項で説明しましたが、やはりルビィのこの成長を観て、感じることで嬉しい気持ちになれること。それを見守り応援すること。
私達視聴者の第8話における「役割」は、このシーンを見届けることで終わりを迎えるのだと思います。
●エピローグ及び今後の展開予想
余談となりますが、黒澤姉妹と鹿角姉妹の共通項について。
ダイヤ・ルビィと命名されたこの姉妹は度々同名の宝石と結び付けられて考えられますが、この宝石は炭素や酸化アルミニウム等の無機物が結晶構造を作ることで安定し存在しているものです。
対して鹿角姉妹がグループ名に冠する「Snow=雪」も、知っての通り水が結晶構造を形成したもので、これらは共に光を受けて眩しく煌めきます。
一方はμ'sから、もう一方はA-RISEから憧れという光を受けてスクールアイドルとして切磋琢磨する存在。
2歳差の姉妹で、スクールアイドルで、輝く名前を持っていて……色々な共通点を与えられた2組の姉妹が北海道の地で交流を深めていくシナリオは、デザインが生まれた当初から考えられていたものかもしれませんね。
そしてEDのカットは予想通り黒澤姉妹でした。なんかもうこの画だけで泣けちゃうので本当にズルいです。
第4話でダイヤがバスから降りなかったのは、ずっとルビィを待っていたんですよね。
さて今回は、ルビィ及び理亞にだいぶ寄せた内容となっており、後編となる次週では姉コンビ、特に聖良の心情の描写がどういう風になるのか、楽しみなところです。
今回口数の少なかった彼女の想いが語られる場面はきっとあるはずです。
さらに、この話を通して提示された「ラブライブが終わったらどうするか」というスクールアイドルにとって避けられない命題について。
Saint Snowの2人は、期せずして一足先にその段階へ踏み込み、第9話でその答えを出すのかもしれません。その姿を受けて、黒澤姉妹は、そしてAqoursメンバーはそれぞれ何を思い、行動するのか。そのあたりも注目していきたいですね。
そして第9話挿入歌は、誰の曲になるのでしょうか。
話の通りにいけば、ルビィと理亞が姉へ贈る想いの歌になります。
イルミネーションされたクリスマスツリーが描写されたので、Aqoursのクリスマス曲、「ジングルベルが止まらない」か、「聖なる日の祈り」の可能性もあるかなと思います。
もしくは、黒澤姉妹×鹿角姉妹による新曲なんかも話の流れから考えられますし、ラブライブ!サンシャイン!!の挿入歌とするために最終的にAqoursの曲となる可能性も否定できません。
ただ、今回Saint Snowの新曲が2曲も発表されていて、ショートサイズすら劇判として存在しないだろうこと(OSTには収録されない?)と、12月20日に正体不明のアニメ挿入歌シングル(2000円という謎のお値段。3曲入り?)の発売が予定されていることを考えると、そのCDにはSaint Snowの新曲とともに第9話挿入歌が収録される可能性もあり、そうであれば、Aqours全員が歌う曲である必要は無いように思えます。
MY舞☆TONIGHTのジャケットに黒澤姉妹が居なかったことを考えると、そのシングルのジャケットは黒澤姉妹と鹿角姉妹が飾る?という可能性さえありますね。
そんな可能性の広がる想像が色々できる第9話も、今週末の放送となります。果たして鹿角姉妹に笑顔は戻るのか。聖良の本音は明かされるのか。ルビィと理亞の辿り着いた「姉への歌」とは?
本当に楽しみです。
黒澤姉妹と同じように、鹿角姉妹にも幸せがありますよう。心からの願いを込めて、終わりとさせていただきます。
次回は北海道編・後編「Awaken the power」。
Aqours1年生&理亞の1年生カルテット。やりとりを想像するだけでほんわかします。
鹿角理亞、かわいいぞ……!
というところでまた次回。長い文章にも関わらずお付き合い頂いてありがとうございました!
挿入歌が来れば、曲考察もやっていこうと思います!
(12/1追記)番外編書きました。かるーい記事なのでおやつ感覚でどうぞ。
↓↓↓
アニメ描写から見る冬の北海道の歩き方:北海道編・番外編 - AQUARIUMと愛のうたをめぐる冒険
*1:TVアニメオフィシャルブックより
覚醒と継承:届かない星に手を伸ばし続ける普通怪獣考
皆様こんばんは。十六夜まよです。
「新たな挿入歌が来たら更新する」と言っていたこのブログですが、危なく挿入歌が来たのに更新できなくなるところでした。第6話が強すぎました。
2期第6話挿入歌、凄まじいの一言でしたね。
というわけで、今回は
MIRACLE WAVE Sounded by Aqours
についての掘り下げを行いたいと思いますが…
この曲はどうしても本編の内容とリンクが強く、曲だけで語れる要素を物語が軽く押し流していく感じなので、いつもよりもアニメ本編感想を多めに取り入れた考察になるかと思います。
念のため、本編未視聴の方はネタバレ注意です。
注)歌詞は下線と斜体で引用とします。が、耳コピのため本来のものとは異なる場合がありますのでご了承下さい。
・覚醒と継承
膨大なメッセージの込められた第6話でしたが、私は千歌の「主人公としての真の覚醒」、そして果南からの「Aqoursのリーダー及び精神性の継承」が行われた回だったと感じました。
そして、それらの要素を包括し、さらに後述するもう一つの要素を加えて完成した曲がMIRACLE WAVEであり、それはAqoursが1期では越えられなかった「地区予選の壁」を突破する一手として放った奥義とも言える曲だったのだと考えています。
・目醒める普通怪獣
「普通怪獣ちかちー」というフレーズは既にアニメ1期の1話から登場しており、基本的には千歌自身が「自分には何もなく、普通の存在である」と自虐的に語るために使われてきた言葉でした。
1期の物語の中では、そんな「普通」の存在が輝きを求めて精一杯走ろうとし、μ'sという「特別」の背中を追う姿が描かれていましたが、だからこそ彼女は他のメンバーの持つ「特別」を誰よりも肯定し、全力で応援していくことでその力を味方につけ、Aqoursを形作っていきました。
梨子のピアノ、花丸やルビィの「やってみたい」という気持ち、善子の堕天使、3年生のスクールアイドルへの未練、そして曜の「千歌と一緒のことがしたい」という願い。
それらを知ってか知らずか、彼女は自然と正しく可能性の広がる方向へ導き、結果、μ'sの後を追うだけではない、Aqoursとしての輝きを手にしました。
しかし、結果は地区予選敗退。
渾身の「MIRAI TICKET」でしたが、AqoursがAqoursとして輝くためにはどうやらピースが一つ足りなかったようです。
それが、千歌自身の輝き。
砂浜で期限ギリギリまで粘るも、なかなか成功に辿り着かない千歌へ、曜と梨子が最後の後押しをします。
「まだ自分は普通だって思ってる?」
「普通怪獣ちかちーで。リーダーなのに皆に助けられて、ここまで来たのに自分は何も出来てないって。違う?」
「今こうしていられるのは誰のおかげ?」
「一番大切な人を忘れてませんか?」
「今のAqoursができたのは、誰のおかげ?最初にやろうって言ったのは誰?」
「千歌ちゃんがいたから私は、スクールアイドルを始めた。」
「私もそう。皆だってそう。」
「他の誰でも今のAqoursは創れなかった」
「千歌ちゃんがいたから、今があるんだよ。そのことは忘れないで。」
「自分のことを普通だって思っている人が諦めずに挑み続ける。それができるってすごいことよ。すごい勇気が必要だと思う。」
「そんな千歌ちゃんだから皆頑張ろうって思える。Aqoursをやってみようって思えたんだよ」
「恩返しだなんて思わないで。皆ワクワクしてるんだよ。」
「千歌ちゃんと一緒に、自分たちだけの輝きを見つけられるのを。」
ここに来て、1番近くで千歌を見ていた2人から、そして恐らくは千歌自身が「この2人は本当にすごい」と思っている曜と梨子から。あらん限り、最大限の肯定です。
月並みですが、「キミは本当はすごいんだよ」と、そういった言葉を投げかけられるのは、千歌に取ってきっと本当に意外で、だからこそ"目が醒めた"のだと、そう思います。
本番直前、決意に満ちた千歌を見つめる曜の表情は、誇らしげでした。
・奥義の存在、「Aqours」の継承
Aqoursというグループは、2年前にも存在していたのは周知の事実です。しかしその知名度や実力等の具体的な情報は明らかにされていませんでした。
第3話で予備予選を勝ち抜いた「MY舞☆TONIGHT」が1,3年生主体で創られたものでしたが、そのパフォーマンスは「決勝出場グループに引けを取らない」という評価を得ました。
また、2年前に鞠莉の怪我により発表を断念した曲が、「決勝へ進むためのもの」だったことがダイヤの口から明かされました。
第2話で曲作りの話になったとき、ダイヤからは「スクールアイドルの先輩として負けていられない」といった言葉も出ており、彼女たち初代Aqoursは、現在のAqoursの一員となりつつも、先輩としての矜持やプライドをまだ持ち続けているのではと思います。
これは決してマイナスの意味ではなく、誇り高い心が2年のわだかまりを解かれた今、完全に復活し現Aqoursの力となっていることの証だと考えています。
とにかく、そんな初代Aqoursの3人から見た現在のAqoursのパフォーマンスは、どうやらこのままでは地区予選突破には少し届かないようです。
3人での会話で、禁断とも言えるノートを手にする果南に、ダイヤと鞠莉は
「状況はわかっているでしょう?それに賭けるしかない」
「学校の存続のためにやれることは全てやる」
と言い放ちます。
これは、現状のAqoursではやはり決勝大会進出には何か力が足りていないと3年生は判断しているものと考えられます。
より高度なものを求め「奥義」とも呼べるフォーメーションダンスを提案しようとするも、2年前にそれで無理をし過ぎて鞠莉が怪我をしたことが頭をよぎり、消極的な果南。
「否定しないで。あの頃のことを。私にとってはとても大切な想い出。だからこそ、やり遂げたい。あの時夢見た"私達のAqours"を完成させたい」
9人となったAqoursに所属しながら、2年前の初代Aqoursの完成を未だ夢見る鞠莉。この想いは、千歌に託されることとなります。
屋上のシーン、フォーメーションの存在が明かされ、それでも乗り気ではない果南が
「千歌にそれができるの?」と問いかけるも、「大丈夫、やるよ、私」と即答されます。
「できるかどうかじゃない、やってみたいかどうかだよ」と以前花丸に言った千歌の気持ちは、あくまでも足掻き続けることを求めていました。
「MY舞☆TONIGHT」の歌詞にもあるように、諦めない心で手を伸ばし続けることだけがキセキを起こす条件である、という物語の本質は変わりません。
ところで、練習の仕切りや、終了とするタイミング等、実質的な発言や決定権の数々は、どうやら3年生に多くあると言えます。
さらに言えばその中心にいるのは果南でしょう。
そんな果南が、新フォーメーションダンスの採用に当たって「危険が伴う」と消極的なのは、それとは別に、無意識にでも千歌に足りていないものを感じていたから、なのかもとも考えられます。
3年生3人が感じていた「このままではダメだ」という危機感は、意外と共有されたものだったのかもしれません。
・継承の儀式
一生懸命練習をするも、なかなか成功に辿り着かない千歌。
これ以上は危険と判断した果南が出した条件は「明日の朝まで」というもの。
王道バトル展開が大好きな私に取ってこういう流れは大好物で、期限ギリギリで技を自分のものとし、師を越えていく主人公……みたいな流れはアツいとしか言いようがありません。
ただし、これには条件があり、千歌が「今の足りないモノ」にどこかで気付き、目醒めることと、それが全員に認められて真のリーダーと成ること、が奥義継承の条件だったのではないかと考えています。
前述の曜と梨子の台詞で千歌の覚醒は済んでおり、各所に傷を負いながら良い顔で彼女を見守るメンバー達は同じ苦労を共有することで彼女の行動に信頼と応援の気持ちを抱いています。
そして、最後に自分にまっすぐ向かってくる千歌の姿を見たからこそ、これまで、2年前は親友2人のために、現在は幼馴染の千歌と、さらに5人の後輩達のために自分にも人にも厳しくあらねばならなかったストイックな果南が、千歌を本当の意味でAqoursのリーダーと認め、果南のAqoursを千歌に受け継ぐことができる、と考えて発した言葉が「ありがとう、千歌!」だったのではと考えています。
Aqoursという波の起点・中心にいながら、これまで自分自身の輝きと向き合えなかった千歌ですが、こうして真のリーダーとして覚醒し、初代Aqoursからの想いと力を受け継ぐ形で認められたことは前回大会にはなかった大きな進化です。
目覚めたら違う朝だよ
「勇気はどこに?君の胸に!」のこの歌詞も随分意味が違って聞こえますよね。
この曲の考察記事ではないので少し触れるだけになりますが、2番Bメロの
信じてあげなよ 自分だけのチカラ
君が君であろうとしてるチカラ
確かめに行かなくちゃ
元気にさあ出発だ!
ここのパートが2年生による掛け合いなのは、シングルのリリースタイミング含めて計算され尽くしているとしか思えません。
・届かない星だとしても
それではいよいよ「MIRACLE WAVE」の考察に入ります。
え?違う曲のタイトルが見えていますか?そうですね。
……ところで、劇中の会話に色々と気になるワードがありましたね。
「奥義」の採用に消極的な果南がこぼした
「届かないものに手を伸ばそうとして、そのせいで誰かを傷つけて、それを千歌たちにおしつけるなんて……」
というセリフや、聖良が千歌に話した、
「ラブライブが始まって、その人気を形作った先駆者たちの輝き。決して手の届かない光。」
「届かない」「光」「手を伸ばす」というキーワードから、「届かない星だとしても」を連想した人も多かったのではないでしょうか。
特に聖良の話した内容は、具体名こそ出ていないものの、μ'sやA-RISEといった無印時代の主人公たちを彷彿とさせる話です。
「届かない星だとしても」がμ'sを始めとした先達に少しでも追い縋ろうと手を伸ばし続け足掻く、Aqoursの泥臭さが表現された"挑戦の曲"であるのは明らかであると思います。
そして、不可能と思われる技の完成を求めて、無謀とも言える挑戦を続けた千歌。彼女の視線の先には、μ'sやA-RISE、そして初代Aqoursがいました。
メタ的なことを言えば、新曲が来るのは濃厚でまず間違いなく挿入歌は新曲だろうと思いつつ、この曲が来てもおかしくないとも思っていました。
手を伸ばし続けることの意味、何にでも挑戦するがむしゃらさ、Aqoursの根元。
MIRACLE WAVEの中に、この曲の精神が眠っています。
イントロが始まった瞬間から感じた、「似てる!」という感覚は、フォロワーさんのくれたヒントで確信に変わりました。
サンシャイン考察班への伝言なのですが、
— 林檎好き🍏🌸0.343億秒 (@R_g_jol) 2017年11月11日
楽曲の調性、コード進行、使ってるコード、リズム、掛け合いというエレメント、歌詞のテーマ、それらを全部見て、
「MIRACLE WAVE」と「届かない星だとしても」の関連性を調べるとかなり面白い文章になるのではないかと。
フォロワーの林檎好きさん(@R_g_jol)のつぶやきなのですが、ヒントというかこれがほぼ答えになっているような気がします笑
まずは調性について。
「届かない星だとしても」及び「MIRACLE WAVE」の調は変ホ長調で、共通しています。
この調の持つ一般的なイメージというのがまたすごくて、
「柔和な中にも悠然さを持ち、響きが充実し、華麗で荘重。最大の変化の表出に適すると言われる。」
「特に真剣な感情、壮大あるいは英雄的な気分を表すのによく使われる」
と表現されています。「英雄の調」とも呼ばれるようです。*1
真剣でがむしゃらに向かって行く姿勢、なにより大きな壁に立ち向かう心を奮い立たせるイメージと、その壮大さに負けない華やかさを感じる曲だったので、この説明は本当にしっくりきました。
「最大の変化の表出」というのも、千歌の覚醒というテーマに多分に沿っていると考えられます。
次に、コード進行。
このあたりは自分が1番遠い分野なので、簡単な説明でお茶を濁しますが、「カノン進行」という非常に有名で耳に馴染みのあるコードの進行手法があります。
「パッヘルベルのカノン」をご存知でしょうか。卒業証書授与とかでよく聞くアレです。
あの曲の音の流れと、この2曲の、具体的にはサビに入ってからのコードの進行が共通しており、E♭(ミのフラット)から徐々に音階が下がっていく伴奏の動きになっています。
このコード、「日本人が大好きなコード」とも呼ばれており、数々のヒット曲に組み込まれているものでもあります。
多くの人に魅力的だと思って貰うことができる、王道を征く曲調を選択したのはやはりAqoursの「新たな輝き」を多くの人に知ってもらうためなのでしょうか。
さらにテンポとリズムですが、同じくサビで、入りの「できるかな」「とどかない」が四分音符でビートを刻む動きをしており、曲そのもののテンポもほぼ同じくらいのように感じます。
曲そのものの性質もコールを煽る作りで掛け合いが多く含まれ、観客と一緒に盛り上がることができる楽しさをどちらも持っています。
以上の数々の通じる点から、「MIRACLE WAVE」のバックボーンには「届かない星だとしても」が組み込まれており、"がむしゃらに駆け抜け、手を伸ばし続ける"というテーマをより深めているのだと考えられます。
・新しい波に乗って
あとはひたすらこの曲への「好き」を羅列していくだけなので、皆様気持ちを楽にしてお付き合いください。
Aメロ、2年生(ようりこ)による入りから、3年生のコーラス、
限界までやっちゃえ最後まで(どうなる?ドキドキWAVE)
じれったい自分越える時だよ(そうだWAVE越えちゃうんだ)
さらに1年生パートから再び3年生のコーラスへ。
わかんないこと考えられない(どうなる?ドキドキWAVE)
一つになったユメよ走れ(そうだWAVE止まれないんだ)
この3パートでの掛け合いは、本来3人で演奏する曲がベースとなって作られていることも意味しているのではないでしょうか。つまり、ここにも初代Aqoursの想いが現れているように感じられます。
3年生コーラスの「WAVE」に合わせた波のような振り付けがアクセントとなっていて、曲にメリハリを与えていますね。
カメラワークも大胆に引き、一気に寄り、こういったところも寄せて返す波のようです。
そしてBメロ、満を持して千歌の登場です。
悔しくてじっとしてられない そんなキモチだった皆きっと わかるんだね
千歌自信の「悔しい」もありますが、そんな千歌を見て他のメンバーも大小様々な傷を作りながら、練習を重ねていました。
ただ千歌だけが頑張ったのではない、全員の努力あってこその技。ドルフィンによるフォーメーションダンスが炸裂します。
そして「奥義」となる千歌のアクロバット。
こんなの本番でキメられたら平伏するしかないです。伊波杏樹さんを信じています。
さらにさらに、強烈なカットイン演出*2からのサビ。もう言うことはありません。
できるかな?(Hi!)できる!(Hi!)叫ぶ心が 欲しがる輝きに 目の前で君に見せるんだ
できるかな?(Hi!)できる!(Hi!)それしか無いんだと 決めて
ここで自問自答して「できる」と言い切る気持ち、そしてそれを「君に見せるんだ」という歌詞は、千歌から3年生への「もう安心して任せていいよ」という宣言でしょうか。
この涙の演出は本当にずるいと思います。
この瞬間、初代Aqoursの3人から、新生Aqours9人への「継承」は完全に執り行われたのだと感じました。
それを受けての
アツいアツいジャンプで!
もう言うことはありません。(2回目)
この曲をライブで聴くことができる日、Aqoursと一緒に叫び、一緒に跳びたい。私の願いはそれだけです。
新しい光 掴めるだろうか 信じようよ!(yeah!)
MIRACLE WAVEが MIRACLE呼ぶよ
サビの後半まで抜かりありませんね……この曲本当何なんですか。
斯くして、千歌の覚醒と奥義の発動成功により「新しい光(=輝き)」を掴んだAqours。
波はお互いを増幅し、より大きなものへと成長していきます。
2年前に一度途絶えてしまった初代の波を、千歌が起点となり新たな波として復活させ、そこに初代Aqoursすらも巻き込み、一気に大きな波へと成長していく……
そんな様子こそが、「Aqours WAVE」だったのかな、というのが私の第6話、及び「MIRACLE WAVE」への感想です。
最後の千歌の台詞。
「皆、信じてくれて、ありがとう!」
これで完全にダメになります。
「ありがとう」という言葉について、2ndツアーのMCであんちゃんが
「演奏後に皆が『ありがとう』って言ってくれるのが聞こえる、『ありがとう』って言いたいのはこっちなのに、それが皆から返ってくるのって、相思相愛じゃない!?」
というようなことを言ってくれたのを覚えています。(一言一句同じではないですが……)
果南から千歌への「ありがとう」
千歌から皆への「ありがとう」
この応酬の中には、間違いなく愛があり、より強固になった絆を感じます。
果たして、予選の結果は。そして廃校の行方は。
アニメ2期も折り返しとなり、次回からも目が離せませんね。
それでは、また次の挿入歌が炸裂する時にお会いしましょう!
舞舞と 不死の双翼 揺蕩うて
皆様こんばんは。十六夜まよです。
ラブライブ!サンシャイン!!アニメ2期 第3話「虹」放送されましたね。
そして劇中で初公開となった挿入歌、実に艶やかで素晴らしい完成度となっていました。
今回、楽曲の分析・考察を行うのはその
MY舞☆TONIGHT Sounded by Aqours
です!
注)例に倣い、歌詞は下線と斜体で引用とします。が、耳コピのため本来のものとは異なる場合がありますのでご了承下さい。
・雨の音から生まれた和の曲
まずは音と歌声から聴き取れる情報を整理していきます。
冒頭、和琴と篠笛の音色からしゃなり、しゃなりと始まるこの曲は、一瞬でテーマが「和」であることを感じさせます。カメラアングルが上向きになり、映るステージの天井が和傘の骨格のように見えるのも印象的ですね。
そして我らが黒澤姉妹のソリによる
踊れ 踊れ 熱くなるため 人はうまれたはずさ
という曲の導入。
口元だけをアップにする少し妖艶なカットも取り入れつつ、2人の魅力を存分に引き出す素敵な歌い出しとなっています。
ダイヤの持つ和の雰囲気にしっかりと合わせるため、ルビィの歌声がトーン低めで調和するようにコントロールされており、降幡愛さんの演技力が光る場面でもあります。
勿論誰もが気付いていることでしょうが、このメロディは第2話「雨の音」にて、1,3年生組が雨宿りで訪れたお寺で、雨漏りを器で受け止めた時の「雨の音」がモチーフになっています。
劇伴として流れたBGMが曲のモチーフとなっている例は1期11話挿入歌「想いよひとつになれ」に関わる「想いのかけら」と「海に還るもの」で強烈に我々なインパクトを残しており、今回の「雨の音」も挿入歌のメロディラインとして採用されるだろうと多くの人が予想していました。
そこは予想を裏切らない形で取り入れられており、水に関わる音から曲の着想を得るというスタンスは1期の時から変わらないAqoursのテクニックの一つとして確固たるものになったのかなという印象です。
そして、曲はイントロメロディへと突入します。
冒頭のソリから一転、アップテンポにギアチェンジし加速していく様子はアイドルソングらしい展開となっており、1小節ごとに訪れる強拍部分でメンバーのポーズがビシッと決まっていくカメラワークは曲に寸分違わずマッチし、最高に気持ちが良い演出となっています。個人的にはテンポが早くなる直前、気分を一気に高めてくるピアノのグリッサンドがAqoursらしくてお気に入りのポイントです。
・「焔」は何を示しているのか
Aメロの歌詞、
今小さく燃えてる まだ小さな焔が ひとつになればキセキが生まれ
の部分はAqoursのメンバーひとりひとりの輝きを小さな焔(ホムラ)と例えています。
ここを炎ではなく焔と表現するあたり、厨二病患者である善子の作詞センスが混ざっている要素なのかなと感心しつつ、焔は「火群」とも言い換えることができるため、ただの「炎」よりも「集合体」であるという意味が強いように思えます。
また、ここのダイヤのパートでピタッと止まる伴奏の演出はイントロとも似ていますがより休符を意識した構成になっているように感じます。
これは第2話で花丸が提言していた「無」の概念を音楽に落とし込んだ時に、休符という「無音を奏でる」表現となったものであると言えるかもしれません。
「休符も音符である」とはよく言ったもので、音楽の中には静寂を挟むことでその前後をより強調し、エネルギーを蓄えるような表現が存在します。
そこがただの「無」ではなく、「無という音がある」と思えば、その瞬間に雑音を挟もうとするようなことがいかに無粋であるかは想像に難くないですが……この話は完全に別の話題となってしまうので深くは触れないこととします。
ところでこの焔、2度も「小さく」「小さな」と強調されています。これは現段階ではまだまだキセキを起こすには足りないAqoursの輝きを暗示しているのかなと思うと同時に、別のものを比喩しているのだと私は考えています。
それが、蝋燭の炎です。
これまた第2話にて、お寺には電気が通ってなく、1,3年生は蝋燭の火で明かりを確保し夜を過ごしたわけですが、この炎が、光が彼女たちにとって大切で暖かいものだったのは間違いないでしょう。(現に消えてしまった時には悲鳴が上がっていました)
サビに採用されている
踊れ 踊れ 熱くなるため
というフレーズ、この「踊り」、「熱く」なっているのは蝋燭の揺蕩う炎なのではないかと思うのです。
暗く心細い夜を照らし、安心を与えてくれる炎。それは太陽の光に比べれば小さく、心許ないものかもしれませんが、「炎」は古来から人類が暗闇に負けないよう知恵を絞り獲得し、発展の礎となってきた文明の象徴です。
例え小さくても、その力が集まり、大きく燃え上がることでいつかは夜に打ち勝ち、日の出を迎えることができる。そんな不安の中に秘めた確かな決意と覚悟が蝋燭の炎には込められているはずです。
この曲のサビ前までの調性は変ロ短調で、不安や憂鬱といったものも表現されているようですが、私はその中に燃える信念のようなものも感じ取れました。そのあたりも、この蝋燭の炎のイメージと合うのではないでしょうか。
作詞は果南も行っていたということでしたが、暗闇を一番恐れていたのは彼女でした。きっと蝋燭の炎に1番安心を貰っていたのが彼女だったのかなと想像すると、こういった歌詞が生まれるのも納得がいきます。
そんな気持ちが現れているのがAメロ後半からBメロの歌詞、
この世界はいつも 諦めない心に
答えじゃなく 道を探す 手がかりをくれるから
最後まで強気で行こう!
の部分であるのかなと思います。
「答え」そのものではないけれど、暗闇を照らし道を探す「手がかり」となる人工の光。諦めない心でそれをかざしていれば、いつかそれが大きな光となり、キセキと呼べるようなことだって起こせるはず。
そういった決意と覚悟、信念の歌。それがこのMY舞☆TONIGHTなのではないかなと。
場面転換で映像が切り替わるところでも、炎のエフェクトが効果的に使われ、炎と一緒に、焔として舞い踊るAqoursの姿が鮮明に表現されています。
サビやアウトロの振り付けにも、上げた手のひらをゆらゆらと下ろしていく表現が使われており、これも「炎」を表現する要素の一つであると感じられました。
そして、鞠莉のエアギターと善子の手首にあしらわれた黒猫。
これはそれぞれ鞠莉のロック好きという作曲スタンスがただの和風曲ではなく和ロックとしてアレンジされたことに、また寺で出会った黒猫が衣装のイメージとして取り入れられたこととして、まさにこの曲が1,3年生のお寺合宿の集大成、と呼べる曲になっていることを表しています。
また、ステージの照明そのものが白色ではなくオレンジ色に近い照明であること、床や壁が木造であることは第2話のお寺の中のイメージと一致しており、ライティング演出でも和の雰囲気を表現していますね。
サビからはキーが上がり、見え隠れしていた決意や覚悟といった要素がよりハッキリと前に出てきたように感じます。
揺らめいていた炎はさらに強く燃え上がり、冒頭のフレーズを繰り返します。
踊れ 踊れ 熱くなるため 人は生まれてきたの
踊れ 踊れ きっとそうだよ だから夢見て踊ろう
MY舞☆TONIGHT DANCING TONIGHT 最高の
MY舞☆TONIGHT DANCING TONIGHT 今日にしよう
このサビの歌詞は焔として、人として夢見る明日を勝ち取るための決意を明確にするものですが、「最高の今日にしよう」とも歌っています。
これはOP「未来の僕らは知ってるよ」でも歌われている
希望で一杯の 今日が明日を引き寄せるんだ
というフレーズの、「今日を、今を精一杯希望に溢れたものにすることで明日(=未来)を引き寄せることができる」という考えにも通じるものがあり、2期に入ってから千歌が言い続けている「やれることに一つずつがむしゃらにでも手を伸ばし、可能性を信じ続けること、そうすることで少しずつ未来を変え、キセキと繋げていくこと」という大きなテーマ(だと私が想像しているもの)にも繋がっていくものだと思えます。
そして、メロディを「雨」が、詩を「焔(=光)」がそれぞれ表現するこの曲によって次にもたらされる未来が「虹」だったのだなというのが私の解釈となります。
これについては挿入歌として出てきた「君のこころは輝いてるかい?」へと繋げる独自の解釈であり、劇中で実際に降っていた「雨」とAqoursそのものが表現する「輝き」によって「虹」が生まれるという考え方の方が自然だとは思います。
・焔と黒澤姉妹のもう一つの役割
さて、ここからは曲のイメージと私の推しである黒澤姉妹にまつわる考察です。
徐々に「こうであれば良い」という幻想に近くなっていくので、そういう考え方もできなくもない、くらいで読んで頂けると嬉しいです。
この曲のセンターは黒澤ダイヤ・ルビィ姉妹によるダブルセンターなのは疑いようがないと思います。ダイヤがセンターと考えることもできますが、冒頭のソリが黒澤姉妹によることや、第2話で1,3年生をまとめるべく奔走したのがこの2人であったこと等がその裏付けかと。
さらに「舞舞」という単語は曲舞(くせまい)という中世芸能の別名であるらしく、「舞」の字がふたつ重なるのは「2人で舞う芸能であるから」という説があるそうです。
タイトルの「MY舞(=舞舞)」の部分はこの曲には主役が2人いる、ということを示しているのではないでしょうか。
そして前述してきた「焔」の曲であること。
アニメでの時系列や曲が公開されている順番、タイミング等に関しては無視しますが、Next step projectを通して彼女たちには魂の色として「不死鳥」という属性記号が与えられていることを、我々は既に知っています。
説明するまでもなくデュオトリオコレクションCDの「インフェルノフェニックス」によるものですね。
「炎から生まれる」「小さな焔からのキセキ」そういった表現は不死鳥伝説と通ずるものがあり、さらに劇中、抽選番号24を引いた善子が「24(ふし)…不死鳥!」と、ライブにおける不死鳥の存在を示唆(?)しています。
さらにはこの曲の調性である変ロ短調およびサビからのロ短調は「ロ」の音、つまりドレミで言うところの「シ」の音が主音となっている曲であり、「2つのシ=ふし」というメッセージが隠されている、と考えることもできる、かもしれません。
そして何より、この曲が「次のラブライブの予選用の曲である」という点。
前回東海地区予選まで駒を進めていたAqoursは、それでも突破とはならず、予選敗退という形で大会を終えました。さらに突きつけられた廃校が不可避であるという現実。
そういった諸々の逆境から脱却するための"逆襲の一手"、"復活の狼煙"として繰り出されたこの曲は、まさに炎の中から何度も復活する不死鳥の如く、Aqoursの再出発を象徴する曲なのではないかと思えてならないのです。
なればこその黒澤姉妹ダブルセンター。これは不死鳥をデュオ名に宿す2人にとっては必然と言えることだったのではないでしょうか。
・衣装に見る黒澤姉妹の絆
この曲の演奏前、黒澤姉妹の会話シーンがありました。
「ルビィ、ずっとずっと思ってたんだ。」
「……お姉ちゃん、絶対似合うのに、って。」
というルビィの台詞。
「(こういう衣装が)絶対似合うのに(着る機会が無いのは残念だと)ずっとずっと思ってた」という言外のニュアンスが汲み取れます。
第2話で明かされた、初代Aqoursの衣装製作にルビィも関わっていたという事実。そしてその初代Aqoursは夏までで活動を休止していました。それをきっかけに姉は「それ、見たくない」と言うほどにスクールアイドルから離れてしまったこと。
これらの事実から、ルビィは2年もの間、姉のためにどんな衣装が良いのか、どんな衣装を着せてあげたいのかを考え続けてきたことが想像できます。
2年前、完成間近に迫っていた「未熟DREAMER」。あの曲も琴の音色を冒頭に使い、花火大会での披露を予定する「和」ベースの曲でした。
今回の衣装、ルビィが2年越しにダイヤに着て欲しかったその衣装は、「未熟DREAMER」の衣装から「和」要素をさらに強調し深化させた、ダイヤのための「和風Aqoursの完成形」だったのではないでしょうか。
2年前は誰もが未熟で完成には到達しなかった曲や衣装を、時が経った今だからこそ9人の力でもう一度復活させ、完成版として今度こそ姉に着てもらいたい。
そんな願いが叶ったからこそのあの台詞だったのかなと想像すると、「ルビィ……」とだけ呟き、妹を抱きしめたダイヤの心中は、想像している以上に尊く美しい感情によるものなのではないでしょうか。
そんな姉妹の絆が込められたこの1曲、挿入歌版は1コーラスだけで終わり、その後の展開が忙しいというメタ的な原因もあったためにあっさりとした印象になってしまっているのは少し残念な気もします。
が、これから発売される挿入歌シングルによるフルバージョン、そしてライブでの生演奏等、この曲の果たすべき役割はまだまだこれからたくさんあるはずです。
そんな活躍に期待しつつ、多くの人にこの曲のことをもっと好きになって貰えたらという願いを込めて今回はこの辺にしておこうかと思います。
「水」や「輝き」というテーマをメインに扱うAqoursにとって、「焔」「宵闇」という真逆の要素を取り入れているこの楽曲は、意外にもイメージと調和し新たな色として違和感なく表現することができているような気がします。
これは、それらの要素を反発することなく受け入れられる多くの伏線の配置によってなされているもので、その説明の多くが第2話にちりばめられていました。
こういった丁寧な作りの中で発表された新曲が挿入歌であることは本当にありがたいことですし、アニメ2期の今後の展開、次の挿入歌がどんなものになるか期待と想像を膨らませつつ、毎週土曜日を楽しみにしていきたいですね。
ちなみに、手前味噌ではありますが以前に書いた「真夏は誰のモノ?」の記事もございますので、この記事で共感していただけた方にはそちらも目を通して頂けると嬉しいです。
デュオトリオ「承」:姉妹が夢見た情熱と幻想 - AQUARIUMと愛のうたをめぐる冒険
それでは!
次回は…次の挿入歌が公開されたタイミングでお会いしましょう!
デュオトリオ「結」:始まりと終わり。1フレーズへの長い長い伏線
皆様こんばんは。まよです。
Aqours2ndライブツアー、HAPPY PARTY TRAIN TOURの終着駅、埼玉公演が先日終わり、(私の住む北海道では)本格的な冬の到来を感じる今日この頃。如何お過ごしでしょうか。
デュオトリオシングル、終曲となる4曲目
夏の終わりの雨音が Sounded by 高海千歌×松浦果南
この曲の考察を夏に置いてきてしまったので、今更となりますが私なりの考えをまとめ、このミニアルバムの楽曲考察の締めとしようと思います。
注)歌詞についてはアンダーラインと斜体表示で引用とします。
・Twilight
この曲で真っ先に描写されている景色は「雨」ですが、この雨はどういったものでしょうか。
1番サビの歌詞に
そんな時間の光景がトワイライトです。
衣装イメージとして選択された「トワイライトタイガー」。
夜明けと日暮れ、一日の始まりと終わりを司るその景色は、Aqoursの発起人となった千歌と、一度はAqoursを終わらせた過去を持つ果南そのものだと言えます。
みかん色とエメラルドグリーンのモチーフを取り入れつつも、白と黒が効果的に使われたこの衣装はまさしく光と闇の混ざり合う、複雑な曲調を表現しているとも言えるでしょう。
・2人の役割と刹那の恋心
わざわざ気持ちを確かめるってことも
必要じゃなくて
・楽しかったね…夏。
そしてCDを手にした発売当日。フォロワーであるあきのさん(@fairlyta6)*2から「帯の段階で死にますよ」と事前にリプライをもらっていました。
以上、この曲のラストフレーズにどれだけ轢き殺されたか、というレポート的なものでした。皆さんが初聞で受けたショックは、どのようなものでしたか??
・9月の雨も過ぎ去りて
*2:彼のエモが爆発するライブ感想記事は臨場感に溢れていて必見です!!!http://akino-oniku.hatenablog.com/
未来の僕達はきっと答えを持っているはずだから
皆様こんばんは。十六夜まよです。
デュオトリオ4曲目、「夏の終わりの雨音が」の考察は鋭意執筆中なのですが、どうしても触れなければならない曲が出てきてしまったので急遽別の記事を挟みます……!
本日、晴れてラブライブ!サンシャイン!!TVアニメ2期がスタートしました。
新たな問題に立ち向かう千歌達Aqoursの新たなストーリー。変に希望を持ちすぎず、逆にシリアスな中にポジティブさと無謀さを持って、これぞラブライブ!というストーリーが展開していきそうで、今後への期待が止まりません。
そして、物語を彩るテーマソングも解禁となりました。
デュオトリオCDの発売から2ヶ月ぶりとなるAqoursの新曲。私はこの日を心待ちにしていました。
ということで、アニメ2期と共に公開された新OPテーマ
未来の僕らは知ってるよ Sounded by Aqours
この曲をTVサイズから読み取れる範囲でではありますが分析・考察していこうと思います。
注)歌詞は下線と斜体で引用とします。が、耳コピのため本来のものとは異なる場合がありますのでご了承下さい。
・手に入れよう、未来を
「本気をぶつけ合って 手に入れよう 未来を」
千歌のそんな力強いソロから始まるこの曲。もうその段階から泣きました。
「未来」という言葉は間違いなくこの曲のキーワードの一つになると思いますが、「未来の僕らは知ってるよ」というタイトルにもあるようにその未来はこれから切り開き、彼女らが手にするモノとして予定されている一つの確定事項でもあります。
それを手に入れようと歌う冒頭のソロは、まさにこれからのAqoursの征く道を示す、一筋の羅針盤となるのではないでしょうか。
そして、そこからイントロへと曲は移ってゆきます。
このジャンプから手を上へ伸ばす振り付け!
ご存知、「青空Jumping Heart」のイントロと同じものです。
そして背後から伸びる9色の光。もうOPとして100点満点です。
ギターの伸びやかなサウンドからビートを刻むドラム音、そしてピアノのグリッサンド。完璧な疾走感を作り出す最高の組み合わせです。
ちなみにこの曲の調性は変イ長調。
「夢想的で繊細、抒情的で壮麗。生き生きとして新鮮」と形容される調です。*1
無謀な夢を掴むため新たな船出をしたAqoursの、その夢想的な行動力とスクールアイドルゆえの儚さ、それでも溢れ出る生き生きとしたエネルギーを内包する曲として、イメージにはピッタリだと思います。
・空と海が待ってる
Aメロ、2年生3人による歌唱からスタートします。
味方なんだ空もこの海も 「さあ頑張るんだ」と輝いてるよ
という歌詞が、内浦の海と共に生きる彼女たちのオリジンをよく表していて、浜辺を走る3人の描写と合わせて非常に爽やかなものとなっていますね。
「空」「海」をそれぞれ示すように上へ、そして足元へ手を伸ばすダイナミックな振り付けも表現が素直でとても素敵です。
個人的にはここでかわいいお洋服を着ているしいたけが描かれているのもポイントが高いですね。
そして「さあ頑張るんだと」に合わせて繰り出される全員の「がんばルビィ」!
ダイヤお姉ちゃんが眩しいです。
・学年ごとの特色
Bメロに入り、3年生パート
(希望で一杯の)今日が明日を引き寄せるんだと
の部分では一瞬シリアスに睨み合った果南と鞠莉がぷっ、と吹き出す、無印1期OPのほのえりを彷彿とさせる表情で一瞬のシリアスをぶち壊し、
3人で方を組んでにこやかに手を振った直後、花丸のハートのカットインから
ハートの磁石を握って走る(uh 今は)楽しいんだそれが
という1年生パートへ!
やっぱりAqoursの1年生組はこうでなくちゃ!という素敵な賑やかし役を今回も担当してくれています。黒板に描かれた「はーーーと!!」の字も可愛いですね。和みます。
学年ごとに持つキャラクター性を活かした見事な役割分担で、今後のストーリー展開でも活躍してくれそうなポジションが見えてくるような気がします。
その直後、左右からの視点を分割して同時に流し、中央で合流、という新しい表現も繰り出され、サビ前の盛り上がりは最高潮となります。
・Aqoursの新しい「船出」
サビでは「青空Jumping heart」の時にも見られたカメラがダイナミックにAqoursの背後に回り込む手法でステージをぐるっと俯瞰する視点で映されますが、その瞬間、ステージから見える客席が海であるかのような描写となります。
この景色、どう見えましたか?
私には9人が船の舳先に立って大海原を見渡している、そんな光景に見えました。
未来をどうしようかな みんな夢のカタチを探して 泣いたり笑ったり
そんな歌詞と共に映るこの景色は、この曲を、そしてアニメ2期を象徴するような場面ではないかと私は考えています。
1期13話で歌われた「MIRAI TICKET」で、「やっと手にしたMIRAI TICKET」によって船へと乗り込んだAqours。その船は「ミライへ旅立つ」船でした。
そんな未来の、夢のカタチを探している途中のAqoursが乗る船からは、きっとこんな広大な海原が見えているはずです。
そしてサビも終盤、
未来の僕たちは きっと答えを持ってるはずだから 本気で駆け抜けて
の歌詞とともに映るのは満開の桜と浦の星女学院。
この時の千歌は、何を思うのでしょうか。
満開の桜は春の訪れを表していますが、1話の中で言われていた「次回のラブライブ」が翌年春ということでした。
そして、来年度からの生徒の募集は……?
Aqoursに取って新たな可能性となる「ラブライブ次回大会」そして、新たな問題として発生した「避けられそうもない廃校」。
そのどちらも「次の桜が咲く季節に」、決断や結果が見えてくるはずです。
そこへ向かって「本気で駆け抜ける」ことが「答えを持っている未来の僕達」へと繋がる航路だと信じて、がむしゃらに船を進める。それが彼女たちが今できる唯一のことなのかもしれません。
最後は
光る風になろう We got DREAM!
と締められています。
「MIRAI TICKET」ではヒカリになり、そして次は船を進める風となる。とにかく前へ、未来を信じてひたすらまっすぐに。
紙飛行機も描写されていますね。これもまた"風"によって先へ先へと進む象徴。
この後の物語にどういった形で関わってくるのか、注目ですね。
そんな彼女たちの想いと覚悟と、それでも"キセキを"諦めない若いエネルギーが込められた、最高で最強のオープニングテーマであると思います。
・衣装について
この曲の衣装は、「MIRAI TICKET」の正統進化版であるのかなと思います。
白を基調としたジャケット風の、少しフォーマルな装いで、しかし今回はAqoursを象徴する「青」がふんだんに取り入れられています。そして各個人ごとにテーマカラーやアイコンをワンポイントとするデザイン。
Aqoursを象徴し、今後のAqoursの一張羅となるのではないかと思われるこの衣装、3次元での再現が楽しみですね。お目にかかる機会もきっと多いはずです。
個人的には梨子の桜ニーハイが非常に良いと思いました。
以上、簡単ではありますが曲の考察でした。
1話が思った以上にシリアス寄りであったために曲のテーマに関しても重め?に考察をしてしまいましたが、この「未来の僕らは知ってるよ」はそれすらも吹き飛ばせるくらい爽やかで、疾走感溢れる理想的なテーマソングだなと感じました。
フルバージョンを聴いた後にどういった感想を抱くかはまだわかりませんが、現在の音源と映像から読み取れる情景を、急ぎではありますが文章にしてみました。
来週以降何度も観ることになるこのOP映像、「こんな解釈や受け取り方もあるのだなあ」という一つの視点が次に見る時に何か気づきを与えてくれる手助けになれば幸いです。
きっと他にも多くの視点や注目ポイントが、それぞれのファンの中で無数に存在すると思います。
それを大切に、時にその"スキ"を交換したりぶつけ合ったりしながらこれから3ヶ月、毎週紡がれるAqoursの新しい物語を一緒に追いかけていけたら良いなと思っています。
"""やるからには、キセキを!!!"""
デュオトリオ「転」:悠久の故郷・"刹那の夏"へのアンチテーゼ?
皆様おはようございます。まよです。
AqoursデュオトリオコレクションCDVol.1の魅力を考えるこの記事も半分を過ぎ、折り返しての3曲目となりました。今回は
地元愛♡満タン☆サマーライフ Sounded by 渡辺曜×津島善子
について想いを巡らせていこうと思います。
注)歌詞についてはアンダーラインと斜体表示で引用とします。
・「転」の要素
このアルバムが曲順で起承転結の構成となっていることはこれまでで何度も触れてきましたが、ではこの曲はどういった点で「転」と成り得るのでしょうか。
(これはねー、"点"と"転"をどっちも"てん"って読むのにかけた……)
調性を見ると、イントロからサビ前まではニ長調、サビからはホ長調となりますが、これらはそれぞれ前者が「歓喜」「活発」、後者が「輝かしく温和で喜ばしい」と表現されています。*1
1曲目に突き抜けた明るさを、2曲目では燃え上がる情熱を表現してボルテージを高めてきた流れで、ポジティブな雰囲気を表現しつつも一旦テンションを落ち着かせる役割を持っているのがこの曲の立場なのかなという印象を受けました。
サビからの歌詞にも
おやすみ気分で
・多くの対比表現
この曲には様々な対比表現が含まれているように感じます。前述した曲の雰囲気をヒートアップからクールダウンへ持っていく動きが1つ目。
2つ目は視点の大きな変更で、歌詞の冒頭、
遠く続いてる 海の先には
どんな夏があるのだろう?
という部分、これが表現しているのは直前の黒澤姉妹による「異国の夏」なのだと私は想像しています。(詳しくは前回記事を参照して下さい)
一度視点を遠くの海の先、幻想の世界の情熱の国へ向け、そこから
いつか確かめたい キモチもあるけれど
イチバンはこの場所って気がしてる
と、それでも「この場所」が良いと一気に場面を引き戻しています。
あんな夏の形もある、という考えの後に、でも私達のイチバンはここなんだ、という表現で、その気持ちを強調しているのだというように感じられるのです。
そして3つ目は、「永遠」が表現される歌詞が多いことです。
最初の記事で「夏の刹那性」がこのアルバム全体のテーマとなっていると述べましたが、この曲の中ではそこに敢えて反対のテーマをぶつけることで、一度ニュアンスを打ち消し、そして来るべき終曲へ向けてテンションを引き締め直している、そんなイメージが感じられました。
例えばAメロ、
ぱーっと派手じゃない? でもこの海は
ずっと私たちのコトをいつも見ててくれた
喜びも 涙も 知ってるの
昔からの浜辺
からは、「ずっと見ててくれた」「昔からの浜辺」というように、過去から現在に至るまでこの風景が存在し続けていることを描写しています。
サビの 寄せて返す波の声 というのも、地球が水の星となってから数億年繰り返されてきた波のささやきを永遠に続いているものとして取り入れているように思えます。
極めつけは2番のサビで 今度の夏も ここで過ごそうよ と歌っているところ。
何度も繰り返してきた「今年の夏は一度きり」というテーマに対して、「今度」があることを示唆しています。
これには別の理由も伴い、後述しますが、やはりどれもが「刹那の輝き」「期間限定である美しさ」等のテーマとは相反するもので、この曲そのものがアルバムテーマへのアンチテーゼとして働いているのかな、と考えています。
まとめると、曲調や視点の表現、そして「永遠」を持ち出すことでこれまでの雰囲気やメッセージを一旦打ち消し、スッキリとさせる清涼剤。それがこの曲の役割なのではないかというのが私の考えです。
これには爽やかでサッパリとしたイメージを持つ曜と、矛盾した2つの存在を両立させ印象を強烈にさせる善子のそれぞれのパーソナリティが色濃く反映されているのではないのかな、とも考えています。
・この2人である理由
「地元」という言葉を、皆さんは普段使いますか?
大抵の場合、一旦故郷を離れ、別の土地から見返した時に故郷のことを指して「地元」と表現することが多いと思います。
そもそも故郷というのは(都市開発や災害等で失われる場合を除いて)各個人にとって永遠のものであり、その人が帰るべき場所として死ぬまで心に在り続ける一つのアイデンティティであると考えます。
1曲目「夏への扉」で少し触れたように、来年の夏にはAqoursに今の3年生はいない、はずです。
その時に彼女たちはどこにいるのか。内浦に残るのか、進学や就職で他の地域へ旅立つのか。そこは計り知れない部分ですが、仮に内浦を離れるか、少なくとも浦女からは離れた生活を送ると考えた時、彼女たちが想う「地元」は勿論内浦・沼津であり、母校、そしてAqours(の後輩たち)であると思います。
今回のデュオトリオで分かれた各ユニットのうち、この2人の組み合わせにのみ、3年生メンバーが含まれていません。
だからこそ、この曲では「今度の夏もここで過ごそうよ」と歌うことができ、その言葉の先には故郷を離れた現3年生がいるのかな、と私は考えます。
そんな、故郷を離れる者に取っての帰るべき場所、悠久に残り続ける「地元」としてその土地への愛を唄う彼女たちのこの曲は、一度限りの夏を打ち消し、来年以降も続く新たな関係性の形を想い描くものなのかもしれません。
そして自分たちが誰かに取っての「地元」そのものになろうというその心構えこそが本当の「地元愛」なのではないでしょうか?
そこに住む人々の地元への愛も"じもあい"。
そして、今は遠くに居る人を地元から想う愛もまた"じもあい"なのかな、と。
・破壊力を持った「好き」!
最後に、私が個人的にこの曲の構成の中で1番面白いなぁと思う表現を語って締めとしようかなと思います。
サビの最後、
砂をサクサク 踏みながらおしゃべりしようよ
ほらっ 地元自慢のサマーライフ!
では、音の区切りが「ほらっ」の部分で独立し、次の「地元自慢の~」へ受け渡される形になっています。
ところがラスサビでは
空がキラキラ
目を閉じてもまぶしい渚が好き
地元愛♡満タン☆サマーライフ
というように、文章の区切りとしては「渚が好き」という文となるところを、同じメロディに当てはめるために「好き」だけが非常に強調された形で飛び出してきます。
アイドルとして歌う2人の美少女が曲のラストで放つ「好きっ」という跳ねた音声に、どれだけ破壊力が込められることか。
そしてこれまで「地元自慢」としか言っていなかった部分をタイトルである「地元愛♡満タン☆サマーライフ」と変化させて歌詞を締めるこの構成は、多分計算され尽くしており、流石畑亜貴先生だな……と舌を巻く限りなのです。
もう3日後に迫った埼玉公演。おそらくこのアルバムは4曲続けて披露されると思うのですが、前2曲を引き継いで現れる斉藤朱夏さんと小林愛香さんが織りなす、清涼感溢れる「転」のステージ。
次に来る「結」をイメージさせながら綴られる「永遠」の表現と、最後に投下される「好きっ!」の破壊力、そしてその後の「じもあい!」コール。
そんなところに注目・傾聴しながら彼女たちのステージを見守ることが出来たら良いな、なんて考えています。
次回は…デュオトリオ最終回。この一言のために4曲がある!です。
デュオトリオ「承」:姉妹が夢見た情熱と幻想
皆様こんにちは。まよです!
デュオトリオCDの魅力に迫る「SUMMER VACATIONをめぐる冒険」、2曲目は
真夏は誰のモノ? Sounded by 黒澤ダイヤ×黒澤ルビィ
を読み解いていこうと思います。
前回に引き続き、歌詞やメロディから感じられる曲の背景やイメージなんかをメインに、黒澤姉妹が提示する「真夏」とは、そしてそれが一体「誰のモノ」なのか?
そんなあたりを考えていけたら、と。
注)引き続き歌詞の引用はアンダーラインで行います。斜体にもしてみようと思います。
・情熱と幻想
まずはざっとこの曲を聴いた時のファーストインプレッションですが、皆さんはどんなイメージを受け取りましたか?
私は夕暮れから薄明くらいのオレンジと紫が混ざる空、そこからもう少し時間が経過した夜の闇と、辺りを照らす炎、そして真紅のドレスに身を包み舞う2人……そんな、黒と紅が入り交じる熱帯夜をイメージしました。
きっと日本とは遠く離れた、どこか南国の地で。
エキゾチックで妖艶な魅力を持った少女が踊り、情熱的な恋の炎に身と心を焦がしているような。
そういった幻想的で異国情緒溢れる世界観をメロディラインとテキストから感じました。
起承転結の「承」に位置づけられるこの曲は、1曲目「夏への扉 Never end ver.」が切り込み、盛り上げたムードを一気に暖め、燃え上がらせる情熱を宿していると言えるでしょう。
曲の持つ調性(キー)は変ホ短調であり、陰暗なイメージのある調ですが同時に"神秘的な恐怖に満ちた調"であるとも表現されています。*1
"神秘的"という表現には幅広い受け取り方がありますが、非日常や非現実といった未知の世界、そして夜の持つ独特の雰囲気……そんなものに対する感情として、少しの恐怖と一緒に感じられるものと考えると曲のイメージにピッタリなのではないかなと思います。
そして「異国感≒非現実感」というのはこの曲を考えるにあたってひとつの大きなキーワードになるもので、それはこの曲を唄っている黒澤ダイヤ・ルビィ姉妹が持つキャラクターとしての本質と大きく関わってくると考えています。
・黒澤姉妹に取っての現実/非現実
「黒澤姉妹がデュオ曲を唄うのなら、和風な曲調になるのかな?」
曲の発表前、そんな期待を持っていた方も多いのではないでしょうか。
私もその一人で、漁村の有力な網元・古風な家で生まれ育った黒澤姉妹にはそのイメージに相応しい「和」の曲が似合うのではないかな、そうであれば良いなと想像していました。
ところがどっこい、まず決定した衣装イメージがインフェルノフェニックス。キャッチコピーは「不死鳥の炎で音楽シーンに破壊と創造を!」。
そして発表されたイラストがこちら。*2
お姉ちゃん、破廉恥だよぉ。。。
そしてどうなるかと考えられていた曲そのものですが、皆様知っての通り情熱的に愛を唄うラテン系の仕上がりとなりました。
ネット上の感想等を見るに、これを受けて「何故この姉妹にこの曲を?」という疑問を持った人も少なくはなかったのかなと思うのですが、そこは敢えてそうした意図が制作側にあったのではないか、そしてこの曲の本質に迫るにはこの姉妹だからこそできるアプローチがあるのではないか。
そんな考えのもとに私はこの記事を書き始めました。
ここでひとつ、フォロワーさんの記事の引用をば。
(ダイヤが)自分のことを「生贄」だなんて言ってしまう人生って、それこそ"本当のわたしは地球じゃないところで生まれたかも"と現実逃避に至るのではないでしょうか。
本音か建前か、向いてないという理由から妹には生贄の役目を押し付けようとせず、代々続く家系という"迷路"のなかにひとりで居る箱入り娘。
こうした捉え方から、さらに
「GALAXY HidE and SeeKは黒澤ダイヤを救う歌なのではないか」
と意見を展開する、瀬口ねるさん(@_Segnel_)のこの記事における黒澤ダイヤにまつわる解釈、彼女を取り巻く環境や出生背景等は共感できることが多く、また私自身の「黒澤家」への考え方も非常に似たところにあります。
現代においても尚、片田舎の、そこそこ有力で古風な考え方の残る家の長子としての宿命のようなものは、彼女ほどではないにしてもしがらみに囚われている人は多いのかなと思いますし、私自身少しだけこういった経験はしているのでなんとなくの共感もあります。
そして、その命運を背負うのは、姉によりある程度軽減はされているものの妹であるルビィにとっても同じことなのではと私は考えています。
血を分けた姉妹、長女次女の差はあれど同じ家で育ち、自分たちがその家の娘であることで求められる責任や役割等、考えてくる機会は多かったはずです。姉が何らかの理由で家督を継げない時、その期待は妹にも間違いなく降り掛かります。
いずれ確実に訪れる、"少女"として生きる時間の終わり。もしかして彼女たちは、恋愛を知らぬまま伴侶を見つけ、家を継ぎ、子を産んで、家のために人生を全うする……決して不幸ではないでしょうが、少しだけ不自由な、そんな生涯を過ごす可能性も無いとは言えません。
夏のように熱い恋愛という感情は、こと彼女たちにとっては許された期間が短く、儚いものとして認識されているのかなと想像しています。
そんな現実に晒される彼女たち姉妹が唄う愛のうた。
現実にはならない、自分たちの幻想にだけ存在する儚い夢。
"今年の夏"のようにもう二度とはやってこない……熱く、身を焦がす想い。
そこまでの悲壮感と重みを持たせるつもりは無いですが、無意識にでも彼女たちの恋愛観は、憧れのずっと先に、きっと現実離れした……生まれとは違う国の、違う世界のものとして幻想的に、情熱的に描写されるのではないかと想像しています。
余談ですが、「G線上のシンデレラ」において「したいこと言ってみて」と言われたダイヤは
「なんでもって……オーケストラで踊るダンスパーティーとか?ふふ、まさかね?」
という願望を口にしています。
自分では叶えることのできない願望の中に「和」とはかけ離れた世界観を提示してくるあたり、やはりそういったものを「非現実」と認識し憧れを抱いているのかなとも考えられます。
ここまでで、この曲を敢えて黒澤姉妹が唄うその意味について考察してみました。
そしてこのイメージの払拭は「破壊と創造をもたらす」というインフェルノフェニックスの世界観そのものなのではとも。
ついでに曲中の「真夏」というのは「恋心」「愛そのもの」なんて解釈をしている理由を説明できたかなと思います。
・本能と理性、その葛藤
前置きが大変長くなってしまいましたが、曲の分析に入ります。
まずはこの曲がアルバム中で1番「デュオ曲」として完成されているものであると明言します。
各フレーズを交代で唄うだけではなく、一方の歌唱中にコーラスとして対等な別パートの旋律が存在し、その掛け合いで歌詞を表現していく。
この動き方は実は他3曲にはほぼ存在していないものです。
また、これは捉え方になりますが、台詞パートがこの曲には存在しなく、100%歌唱のみで曲の持つ世界観やメッセージを伝えているという面で、曲としてガチで勝負しにきている、と考えることもできるでしょう。(決して台詞パートがあることで他の曲が劣っていると考える訳ではありません。)
次は歌詞を見ていきましょう。
前述のようにこの曲が彼女たちの憧れる"幻想の中の恋心"を唄ったものと考えた時に、それでも存在する葛藤が見え隠れします。
もっと知りたいの
もっと知りたいの
いけない 夢だと
気づきながら
このフレーズから読み取れるのは、理性と本能の狭間で気持ちが激しく揺れ動いているということです。
そして面白いことに、姉妹のパート分けがその両面の心を示しています。
例えば冒頭から
(ダイヤ)目をそらしたい
(ルビィ)でもそらせない
という部分や、Aメロでは
(ルビィ)ときめき以上のリズム
今宵 知りたくて
いつもより大胆な言葉を
つぶやいた
(ダイヤ)自分の気持ちなのに
全然分からなく (ルビィ)なっちゃいたいな
理性から指令が (ルビィ)届かない
コントロール不可能
等、
ダイヤのパートは制御できない気持ちに戸惑い、律しようとする理性を
ルビィのパートは感情に身を任せ、情熱を燃やしたい本能を
それぞれ担当しているように思えます。
これはやはり、長女・次女としてこの気持ちに向き合った時、冷静に対応しコントロールしたいと思う姉と、少しばかりの自由を手にしているため奔放に解放してしまいたい妹とのそれぞれの気持ちが現れたパート分けとなっており、黒澤姉妹というキャラクターならではの演出であると感じます。
この2面性は、調性イメージの「神秘と恐怖」とも関連づけることができるのではないでしょうか。
・情熱をぶちかませ!
さて、ここまで小難しいことをつらつらと述べてきましたが、曲そのもののメッセージ性は割とシンプルで、
「(少しだけ自由のない環境で育った)少女たちの考える本気の恋愛・情熱」
に尽きると思います。
Ah 情熱的に抱きしめて!
と締め括られるこの曲はとにかく"情熱"というものをテーマにしており、それを彼女たちがどう表現しているか、となるわけですが……
その想いに応えるならば、こちらもあらん限りの情熱と愛情をもって誘いに乗っかる、というのが最大限の答えなのかなと思います。
幸い、用意された舞台はフラメンコ風のダンス。
感情の一番盛り上がるタイミングは……ハレオ(Jaleo)と呼ばれる2番サビ手前の「オーレ!」の掛け声です。
台詞パートが存在しない、とは言いましたが、解釈としてはここがもしかすると台詞なのかもしれません。楽譜上音程は存在せず、合いの手として歌われる声部がこの掛け声だ、と考えると他に無い感情のぶつけどころをここ一箇所に集中して爆発させるのがこの曲のカタルシスを味わう上で1番大切になるポイントなのかなと考えています。
フラメンコに用いられる手拍子はパルマ(Palma)と呼ばれ、その中でも高音で響くものをセコ(seco)と呼ぶそうです。
ライブで演奏される場合、ここは是非とも全力で、できればセコも交えてハレオを炸裂させたいですね!
・結局、真夏は誰のモノ?
と、いうわけで"黒澤姉妹が唄う"この曲がより魅力的に感じられそうな解釈・感想をまとめて来ましたが、如何だったでしょうか。
家庭事情に関し、少し暗め(?)の解釈が入ってしまいましたがそれもまたキャラクターが持つひとつの属性として、私は好意的に捉えています。
ちょっとだけ特殊な家庭事情に生まれ、少しだけ不自由な生活の中で、それでも自分たちなりの青春のカタチを模索し、謳歌する姿はとても愛おしく思いますし、だからこそ私はこの姉妹に惹かれ、2人一緒に推しています。
そんな2人の記念すべきデュオ曲だからこそ、ここまで多くのことを考え文章にしてきました。
楽曲として非常にハイレベルにまとまったこの「真夏は誰のモノ?」を、"身を焦がす情熱"や、"少女たちの憧れる非現実・幻想"といったワードを通して聴いた時には、改めてその意味や意義、そしてアルバムの大テーマである「夏の有限性・儚い輝きの魅力」なんかを感じられるのかな、と、この記事を読んだ皆様にとってもそうであったらいいなと願っています。
最後に。
真夏は誰のモノ?
という曲名であり主題であるこのフレーズは、非常に悩みましたが最終的に結論は出ていないのかな、と私は解釈します。
恋心(=真夏)を唄うこの詩で、結局誰のモノでもなく、ただ彼女たちの胸に眠る憧れであるように。
未だ存在しないその「愛のうた」は、謎に満ちた遠くのパッションとして……今は誰のモノにもならないのかな、なんて考えています。
といったところで、今回はここまで。
次回は…暑いだけが夏じゃない!そんなところも私達の地元愛!です。
以下オマケ
・ブレスは誰のモノ?
感情の昂りと言えば、私の考えるもうひとつのこの曲最大の聴きどころとして、ラスサビの
初めて胸のトビラが開いてしまいそうよ
You knock knock my heart!!
……の伸ばし切った最後、苦しげに混じる甲高いブレス音を挙げておきたいです。
そもそもブレス音とは、歌唱する上で必要な空気を取り入れるために呼気を吸う、要するに呼吸音となるわけですが……
普段、普通に生活している中で相手の呼吸音が聞こえるという場面はまず無いです。
息遣いを聴けるような距離に近づくことができる関係性は限られてきますし、本来ならばそれこそ本当に親密な間柄でだけ聴こえてくる生命の音、原初の胎動、それがブレス音です。
私はブレス音が大好きです。
遠く手の届かない、触れることなんて叶わない高嶺の花である声優さんたちの、生物としての根源的な生体音声。それをゼロの距離で耳にすることができるのです。こんなに幸せなことはないでしょう。
……さて本題です。この悲鳴にも似たブレス、一体小宮さん・降幡さんのどちらのモノなのでしょう?やはり甲高い音となると妹のルビィちゃんでしょうか。
普段からルビィ役としてピギィと高い声を出す傾向にある降幡さん、実は歌声はだいぶ落ち着いておりそのコントロールは的確です。狙って出すからこそああいう高い音が出せる、そういう声帯の操り方をしていると思います。
一方、品行方正で落ち着いた印象のダイヤを演じる小宮さん、意外に熱が入ると感情のままに声を発することも多いようです。
2番Aメロの
ためらいがちのステップが
熱く変わる頃
いつもならあり得ない 衝動に戸惑うの
このパートはダイヤのソロですが、ここを唄う小宮さんのブレスは各所で高くしゃくり上げがちになっています。
気持ちが入ってブレス量が追い詰められてくると、その確保のために急激な呼吸でブレスを取る傾向にあるのは小宮さんの方のようです。
ので、ここの音はダイヤお姉ちゃんの炸裂したパッションなのかな、と。私はそう結論づけました。
情熱的に舞い、唄うその中から溢れてくる生命のサウンド。この一瞬から感じられる彼女の熱量を全神経をもって受け取りたいな、と。
そう考えながらフレーズをリピートし、耳をknock knockされる、そんな音楽鑑賞もたまには如何でしょうか??